2019
08/12
月
倭姫宮に続いては、『月讀宮』(つきよみのみや)に行きました(^^)/
二つ前に参拝しました「月夜見宮」(つきよみのみや)は同じ読み方ですが、豊受大神宮(外宮)の別宮となりまして、今回の「月讀宮」は皇大神宮(内宮)の別宮となります。同じ御祭神が祀られていますが、御祭神の文字も同様に変えられているのが不思議です(^^;)
まずは入口前の
駐車場に
車を停め、全景をパシャ
!




社号標には「皇大神宮別宮 月讀宮」と書かれています。
まだ綺麗な木製の神明鳥居です。ここをくぐると木々に覆われた参道になります。
参道途中には皇大神宮末社の「葭原神社」(あしはらじんじゃ)がありました。
葭原神社を過ぎると手水舎がありましたので、身を清めて進みます。
手水舎の横には「宿衛屋」がありました。最後にここで御朱印を書いていただきます。
「祭器庫」と「祓所」です。どちらも縄で立入禁止の柵が設けられていました。
社殿前には、立て札にお参りの順番が書かれていました。
月讀宮には四つの別宮があります。
「『日本書紀』『古事記』によると、伊弉諾尊・伊弉冉尊は天より降って、国生み、神生みをされた神で、天照大神と月讀尊の御親神です。火の神を生んでみまかられた伊弉冉尊を追って黄泉の国へ行き、地上に戻られた伊弉諾尊がみそぎをされた時、左目より天照大神が、右目より月讀尊がお生まれになりました。~」
とあり、月讀の親である、伊弉諾尊と伊弉冉尊が祀られ、月讀の和御魂(にぎみたま)だけでなく荒御魂もお祀りしています。
まず最初は、右から二番目にある「月讀宮」です。
御祭神は「月讀尊」(つきよみのみこと)になります。
賽銭箱のある前でお参りをさせていただきました<(_ _)>
続いては、一番右端にある「月讀荒御魂宮」(つきよみあらみたまのみや)をお参りしました。御祭神は「月讀尊荒御魂」(つきよみのみことのあらみたま)になります。
続いて、右から三番目の「伊佐奈岐宮」(いざなぎのみや)をお参りしました。
御祭神は「伊弉諾尊」(いざなぎのみこと)になります。
最後は一番左の「伊佐奈彌宮」(いざなみのみや)をお参りしました。
御祭神は「伊弉冉尊」(いざなみのみこと)になります。
敷地が狭いので四宮全てを入れたかったんですが、、、これが限界でした(^^;)
ご鎮座の由緒と歴史
「月讀宮の創始についての詳細は不明ですが、その由緒は古く、奈良時代には月讀社と称され、平安以前に月讀宮の官号を有していたと考えられます。延暦二十三年(804)に撰述された『皇太神官儀式帳』には「月讀宮一院」とあり、つづいて「正殿四区」と記され、一つの囲いの中に現在と同じ四柱の神がお祭りされていたと考えられ、総合して月讀宮とお呼びしていたことがわかります。
宝暦三年(772)、月讀尊の神威を畏み、荒祭宮に準じて毎年九月に弊馬が奉られることになり、月讀尊荒御魂、伊弉諾尊、伊弉冉尊が官社に列せられました。
仁寿三年(853)、大風洪水により月讀宮と伊佐奈岐社が流され、斉衡二年(855)に現在地に遷座されました。それ以前は諸説ありますが、この地の近く、もう少し五十鈴川に近いところにお祭りされていたと考えられています。
貞観九年(867)の『日本三大実録』には、伊佐奈岐社が独立して宮号宣下され、殿舎が増作されたという記録があります。延長五年(927)に上奏された『延喜式』には、伊佐奈岐官・伊佐奈彌社が瑞垣を巡らした一院をなし、月讀宮・月讀尊荒御魂社で一院をなしていたとあり、月讀尊荒御魂社と伊佐奈彌社はそれぞれ「小殿」と呼ばれていたようです。
明治六年に現在のように四院それぞれ一院をなす形となりました。」
~パンフレットより~
青空が出てきましたので、月讀宮を中心にして1枚
!

ちなみに、古殿地はこの社殿の後ろ側にあります。(^^)/
御朱印
場所:月讀宮



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