2019
08/10
土
世義寺に続いては、本来の目的に戻りまして、、、別宮3ヶ所目は、
歩くこと25分程の所にあります『倭姫宮』(やまとひめのみや)に行きました(^^)/

「皇大神宮別宮 倭姫宮参道」 別宮を廻っていて、初めて石柱に名前が書かれているものを見つけました。両側を木々で覆われた参道を進んでいきます。
参道途中に「神宮美術館」がありました。神宮美術館には、遷宮を奉賛して当代最高の美術・工芸家から奉納された作品を展示しているようです。
倭姫宮の入口(裏)に着きました。ボクは
歩いてきましたが、
駐車場は手前にあり、
車が数台停められるようです。ここが表だとばっかり思っていたんですが、どうやら裏口みたいです(^_-)



まだ綺麗な木製の鳥居には榊が付けられています。社号標には「皇大神宮別宮 倭姫宮」と書かれていました。
高木で日が陰っている参道は、とても神聖な雰囲気が漂います。また日陰が涼しい(^^)/
参道を進むと、宿衛屋を過ぎたあたりに手水舎がありましたので、身を清めて進みます。
次に、「祭器庫」がありました。例祭等、祭事に使用するものを保管しています。
「祓所」(はらえど)です。罪や穢れ、災厄などの不浄を心身から取り除くための神事・呪術をおこなう場所になります。
日陰の参道から、明るく広い場所が見えてきました。
広い場所の左側には「古殿地」です。次の式年遷宮の時にここに社殿が建てられます。真ん中にある小さい小屋の場所には、以前の正宮の「御正殿があった場所」のようです。
古殿地の右側には「社殿」があります。3年前に式年遷宮を終えたばかりなので、白木がとても美しい社殿になっています。
倭姫宮の名が入った立て札に、御祭神である「倭姫命」(やまとひめのみこと)の名が書かれていました。
正面から、鳥居と瑞垣御門(みずがきみかど)です。
お賽銭箱の前でお詣りをさせていただきました<(_ _)>
ご鎮座の由緒と歴史
「神宮の諸宮社の由緒はきわめて古く、奈良時代以前に遡るものが多いのですが、当宮は、格別に新しい由緒の別宮です。大きなご功績をお遺しになった倭姫命ですが、長く命をお祭りするお宮はありませんでした。江戸中期の外宮権禰宜喜早清在の『毎事門』に、神郡数万の人民は家々に倭姫命をお祭りして、その神恩に感謝するのは当然であると書かれています。古くから、郷土をお拓きになった命への地元の人々の敬慕は篤く、信仰されてきました。そこで、命の御徳をお慕いして、大正初年から、神宮司長と宇治山田市(現伊勢市)が命をお祭りするお宮の創立を国に請願し、大正十年(1921)皇大神宮別宮として当宮の創立が許可され、同十二年十一月五日御鎮座祭が執り行われました。
昭和二十四年(1949)には「御杖代講」が結成され、現在は「倭姫宮御杖代奉賛会」として、五月五日には春の例大祭、十一月五日には秋の例大祭が執り行われています。」
社殿はもちろん、萱葺きの唯一神明造りです。金色の板金でできた甲板と障泥板の上に出る、千木と鰹木が神明造りの美しさを作り出しています。
お詣り後、宿衛屋にて御朱印を書いていただきました。
御朱印
場所:倭姫宮



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