2019
07/31
水
奥之院思親閣に続いては、本日最後の場所になります『身延山祖廟』(みのぶさんそびょう)です(^^)/ 身延山祖廟は、日蓮聖人御墓であり、御遺骨が祀られています。
久遠寺三門から西へ500m程の所に石碑がありました。「日蓮大聖人 御廟 御草庵旧跡」と刻まれています。竜潜橋を渡って参道を進んでいきます。
参道右手に「身延山研修道場」がありました。
参道の中間地点くらいに正面を向いた狛犬がいました。(^^;)
更に進んだ左手に「護国英霊供養塔」「身延山教師廟」等の納骨塔がありました。
納骨塔の正面にあったのは、「常唱殿」です。祖廟を拝礼するための建物です。
常唱殿を過ぎたあたりにあった、身延川に架かる「霊山橋」を渡ります。
橋を渡った所に水屋(手水舎)がありましたので、身を清めます。この水屋は身延川の清水を導いているそうです。
水屋の上辺りに、「法界堂」がありました。
聖人の御草庵の趣を今に伝えるために、その形を模写・縮小し造立されたもので、聖人ご在山の御生活を偲んでいます。
参道をカーブして進むと、突き当りに「祖廟拝殿」がありました。
御廟塔ならびに拝殿の説明書きがありました。
「千鳥破風(ちどりはふ)造り、御所向拝(ごしょごはい)丸太建築檜皮葺(ひわだぶき)のこの拝殿は昭和十七年(1942)に、身延山の材木を用いて、大阪寺院信徒連合会の丹誠によって建立されました。奥の石造八角塔は日蓮聖人の御遺骨を火葬の灰とともに納めた御廟塔(ごびょうとう)で、この塔の中には古い五輪の墓があり、その下の岩盤に掘削された方形(ほうけい)の石室に御遺骨が納められていました。この御廟塔は昭和十六年(1941)に尾張の信徒の丹誠によって造立されたものです。11世日朝(にっちょう)上人の代に、将来の発展にそなえ久遠寺伽藍(くおんじがらん)をこのところより現在地に移し造営したとき、常随給仕(じょうずいきゅうじ)のため聖人のご遺骨を奉じて現在の御真骨堂(ごしんこつどう)にお移しして今日迄に550年を経ていますが、この御廟塔にも御遺骨の一部と火葬の灰とが納められています。」
拝殿前の石段下に青銅製の灯篭があります。
柱には「大光普照」と法華経の経文が書かれています。
千鳥破風造り、御所向拝丸太建築檜皮葺きの拝殿です。
拝殿は祖廟を拝礼するためのものになります。
拝殿内の賽銭箱の前にてお参りをさせていただきました<(_ _)>
拝殿内の中央屋根下に掲げられている「立正」の文字がある扁額は、昭和天皇より賜った勅額で、大正天皇から聖人に賜った「立正大師」の贈り名に因んだものだそうです。
拝殿の奥に見えるのが、聖人の御墓である「祖廟塔」になります。
先ほどの「常唱殿」に戻り、受付にて御首題(御朱印)を書いていただきました。
功徳聚(くどくじゅ)と書かれた御首題(御朱印)
本堂のある境内からは、ちょっと離れた場所にある祖廟でしたが、身延山久遠寺の中では一番静かで、落ち着いた荘厳な場所でした。あまり人もいないので、オススメスポットだと思います(^^)/
今回は2日間かけて、長野県~初となる山梨県まで、全部で14寺社+お城で16種類の御朱印(御首題)をいただきました。連続して投稿していますので、過去ブログも併せてご覧ください(^^)/
場所:身延山祖廟



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BEFORE「[山梨県] 身延山山頂に鎮座する 奥之院思親閣」
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