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大人の事情 ~御朱印ライフ~

付き合いで始めた寺社(御朱印)巡り、今じゃ週末のライフワークになりました~♪

2019 07/25

[山梨県] 日本三大門の一つ 身延山久遠寺三門


甲斐善光寺を後にして、最終目的地となりました、山梨県南巨摩郡身延町身延にあります『身延山久遠寺』(みのぶさんくおんじ)に行きました(^^)/
山梨県でもかなり静岡よりにありますので、車で1時間以上かかり、着いたのは11時を廻っておりました。総門駐車場に車を停め、まずは身延山の入口になります「総門」です。大型トラックも通行できるほどの高さがある大きな門です。

久遠寺三門 入口



総門手前には巨大な寺号標に「身延山久遠寺」と刻まれています。身延山久遠寺は日蓮宗の総本山となります。

久遠寺三門 寺号標



総門全景です。二十八世日奠(にちでん)上人が寛文五年(1665)に建立したとされます。

久遠寺三門 総門



総門の扁額に書かれた「開会関(かいえかん)」の文字は、
 「一切の人々は、法華経の信仰によって仏になる」
という意味で、この門を潜ることが即ち、仏の世界に入ることであると意訳されます。

久遠寺三門 総門扁額

久遠寺三門 総門説明板



総門からは、境内目指して歩いて上ります。総距離約1.2㎞の坂道は、かなり辛かったです。参道途中の境内に近い方は、かなり土産物屋さんも多く、ボクも帰りに買わせていただきました(^^)/
この階段を上がると、三門前になります。

久遠寺三門 三門前



三門の全景です。本瓦に似せた銅板葺きで、五間三戸の二階二重門になります。日本三大門の一つと言われるだけあり、かなり大きいです。ボクが行ったもう一つの日本三大門は、京都の「南禅寺」になります。併せてご覧下さい。

久遠寺三門 三門全景



三門の説明板がありました。

久遠寺三門 三門説明板

「古く寛永十九年(1642)、二十六世日暹(にっせん)上人のとき、伏見宮邦房親王の第八王子尊賀院日廷上人が普請奉行として建築されたが、慶応元年(1865)に焼失し、明治四十年(1907)七十八世日良上人の代に全国寺院檀信徒の協力を得て再建されました。関東三大門のひとつに数えられています。仁王尊は横浜市金沢区六浦の上行寺より六浦平次郎入道妙法禅門が背負ってここまで運び寄進したという伝説があります。六浦平次郎は相州荒尾城主播磨守の後身で、中山法華経寺日祐上人の弟子となり日荷と名を改めたといいます。楼上には京都の仏師辻井岩次郎の十六羅漢像がまつられています。身延山の扁額は七十九世日滋上人筆です。」

説明には日本三大門とは書かれていませんが、「関東三大門」とも書かれており、その大きさが伺えます。



三門の扁額には山号の「身延山」と金文字で書かれています。二軒繁垂木と尾垂木付三手先詰組は圧巻の仕上げになっています。

久遠寺三門 三門扁額



正面1階部分を横から見ています。軒下の木鼻付三手先詰組が美しいです。

久遠寺三門 横から



三門の両横にあるこの建物は、何かわかりませんでした…(^^;)

久遠寺三門 横の建物



その手前にありました、身延山の案内図です。図を見てますと、いくつ塔頭があるんだろうか?と思うほど、~坊と書かれた所が多いです。

久遠寺三門 案内図



三門手前には、小さいですが反橋もあります。

久遠寺三門 反橋



三門内の右手の部屋は、通常金剛力士像がいるところですが、「御札所」と書かれた看板があり、お守りなどが売っていました。

久遠寺三門 右売店



部屋の奥に祭壇と仁王像が祀られていました。

久遠寺三門 右仁王像



三門左側です。こちらも畳を敷いて部屋になっています。

久遠寺三門 左



奥に仁王像と祭壇がありましたので、お参りをさせていただきました<(_ _)>

久遠寺三門 左仁王像



高さ7丈約21mの三門を真正面から見ています。緑青がかった屋根がとても美しいです。

久遠寺三門 正面全景



これからいよいよ全287段の石段がある「菩提梯」へ進みます。

久遠寺三門 三門内



御朱印は書き置きとなっていますので、いただいてきました。

久遠寺三門


場所:久遠寺 三門



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