2019
07/23
火
前日は沢山の寺院を参拝させてもらいましたが、最後の武田神社は17時くらいでしたので、当然山梨で泊まる計画をしております(^^)/
せっかくなので温泉のあるホテルに泊まり、少しはスッキリできましたぁ(*'▽')
2日目最初に訪問したのは、『甲斐善光寺』(かいぜんこうじ)になりました(^^)/
今回一番の目的地にしていました甲斐善光寺は、全国にある善光寺の一つではありますが、その中でも同時御開帳が行われる「六善光寺」の一つであり、ボクの六善光寺参りの最後の一つでもありました。
まずは敷地南の入口にある巨大な「山門」の前に来ました。朱色に塗られた山門は重層の楼門で両側には仁王像もいますので、仁王門でもあります。重要文化財に指定されています。
山門前の左側にある寺号標には「甲州 善光寺」と刻まれていました。ここには、甲斐ではなく何故か甲州と書かれていました(?_?) まぁ甲州ですからその通りなんですが、地方の人間としてはあまりシックリこないかなぁ(^^;)
ちょっと
画像がボケちゃいましたが、山門の扁額には山号の「定額山」と書かれていました。ここ甲斐善光寺は、山号が定額山(じょうがくさん)、寺号が善光寺で、正式名称は「定額山浄智院善光寺」となります。浄土宗の寺院です。

山門から中に入ると、「善光寺山門付棟札」と書かれた看板には、消失後明和四(1766)年の上棟式が行われた旨が書かれています。
乱張りされた石畳の参道の廻りは、綺麗に整備された樹木が並んでいます。
参道途中右手に売店がありました。
折角なので信玄餅と、巨峰ソフトクリームを買いました(^^)/
金堂(本堂)です。この善光寺らしい姿にいつも見惚れます。
千社札が所狭しと貼られている、金堂手前の香堂です。折角いい雰囲気があるのに、何故コンクリート造の香堂を造ったのかなぁ?
香炉の左側には、石仏群と水子地蔵がありました。
これも香堂と同じく、コンクリート造の手水舎です。身を清めます。
更に左奥には大仏様も祀られていました。
金堂の前にありました、由来が書かれた石碑です。
「定額山浄智院善光寺は、武田信玄公が、永禄年中、川中島の合戦の折、信濃善光寺が兵火にかかるのを恐れ、本尊阿弥陀如来その他、諸仏、寺宝、大梵鐘に至るまでことごとく甲斐に招来し、大本願第三十七世鏡空上人を開山に迎え、信濃善光寺開基本田善光公追葬の地、ここ板垣の郷に新たに建立せられたものである。
その後、江戸時代にも歴代国主の帰依と保護を受け、浄土宗甲州触頭として、金堂・山門・三重塔・鐘楼をはじめ本坊三院十五庵の大伽藍を有し、荘厳を極めるに至った。
ところが、宝暦四年二月、門前の農家の失火により類焼し、堂塔ことごとく烏有に帰してしまった。そこで、中興癡誉、性誉両上人が再興勧進に奔走し、三十有余年の歳月を費して、寛政八年八月、金堂が落慶した。
これが現在の伽藍で、昭和三十年六月、金堂・山門共に重要文化財に指定され、同三十に年より五年間にわたり大修理が行なわれた。金堂は、日本有数の大建築として著名である。
本尊は、建久六年、尾張の僧定尊が霊夢により造立した金銅善光寺式一光三尊阿弥陀如来像で、重要文化財の指定を受けている。このほか、文禄年間、甲斐国主浅野長政公が他寺より動座した、木造阿弥陀三尊像二組も、それぞれ重要文化財である。また、県指定文化財の、木造源頼朝像、木造釈迦涅槃像、当麻曼荼羅図、梵鐘など多数の寺宝を所蔵している。寺域には、文禄二年、朝鮮の役で戦病死した国主加藤光泰公の墓所などもある。
当山は、創建以来時に盛衰はあったが、全国の深い尊信を集め、今日に至っている。」
と、書かれていました。
金堂(本堂)の前面全景です。他の六善光寺と違い、朱色を纏っている所がいいです。本尊はもちろん一光三尊の善光寺如来になります。
善光寺金堂の屋根は銅板葺きですが、向拝の屋根は唐破風造り檜皮葺になっています。又、各所の彫刻類が素晴らしいです。
金堂入口です。外陣部分には善光寺と書かれた扁額が伺えます。
お賽銭箱の前でお参りをさせていただきました<(_ _)>
右手には、拝観受付に御朱印所もありました。
金堂の右手にあったのは、善光寺鐘楼です。銅鐘は山形県指定有形文化財です。
最後に庭園の中から金堂東側と、金堂正面と横に伸びた枝が立派な松です。
御朱印
場所:甲斐善光寺



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