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大人の事情 ~御朱印ライフ~

付き合いで始めた寺社(御朱印)巡り、今じゃ週末のライフワークになりました~♪

2019 07/21

[山梨県] 武田信玄公を祀る 武田神社


仕事が忙しく、ブログ更新を一日空けちゃいました…(^^;)すいません

今回伺ったのは、山県縣護國神社からほど近い、甲府市古府中町にある武田信玄ゆかりの『武田神社』(たけだじんじゃ)になります(^^)/ 入口東側の道路沿い駐車場に車を停めて、入口前に来ました。「武田神社御鎮座百年」の提灯が掛かっています。

武田神社 入口



入口東側の社号碑には「武田神社」の文字が刻まれています。

武田神社 社号標



外の塀際には由緒看板がありました。

武田神社 由緒

「武田晴信公は清和源氏新羅三郎義光公の後裔で、大永元年(1521)十月三日、武田信虎公の長男として石水寺要害城に生まれました。幼名を太郎、童名を勝千代と名乗り、天文五年(1536)三月に元服に際し、将軍足利義晴から「晴」の一字を賜り春信といい、従五位下大膳大夫に叙されました。
 天文十年(1541)信虎公の後継者として、甲斐の国主となり、以後三十有余年領国の経営に力を尽くされました。
 天正元年(1573)四月十二日、天下統一の夢を抱き京に上る途中、信州伊那駒場で病没されました。(行年五十三歳)
 大正四年(1915)大正天皇の即位に際し、晴信公に従三位が追贈され、これを機として山梨県民はその得を慕い、官民が一致協力して、社殿を造営、大正八年(1919)四月十二日、鎮座祭が盛大に齋行されました。」

御祭神は武田晴信命(信玄公) になっております。



入口すぐにあるお堀なのかな?そこを渡る朱色の欄干が綺麗な反橋ありました。由緒にもありましたが、武田家のお屋敷だったのでお堀があったのかな?

武田神社 反橋



反橋を渡った所に境内図がありました。上から見た鳥瞰図のように上手に書かれています。

武田神社 案内図



この巾の広い石段を上がった上段が、境内のある場所となります。

武田神社 石段



石製の一の鳥居です。武田神社と書かれて扁額も石でできています。

武田神社 一の鳥居



参道両脇には、多くの提灯が飾られて祝い事を待っているようです。

武田神社 参道



参道途中の左手に手水舎がありましたので、身を清めて進みます。

武田神社 手水舎



境内前に建つ二の鳥居、両横には鎮座百年の提灯です。正面が拝殿になります。

武田神社 二の鳥居



境内に入る手前を左にちょっと行った所で、催しの準備をしていたのは「甲斐武能殿」です。当日は舞台に鐘を吊っていました。

武田神社 甲斐武能殿



拝殿の左側には、まだ新しい「菱和殿」と書かれた額のあるお祓い処がありました。

武田神社 菱和殿



入母屋造り檜皮葺きの拝殿は、唐破風の向拝付きとなっており、風閣を感じさせます。

武田神社 拝殿



拝殿向拝にてお詣りをさせていただきました<(_ _)>

武田神社 向拝



柵があり中には入れませんでしたので、ちょっと遠目からの本殿です。手前に中門もあるみたいです。

武田神社 本殿



拝殿の右方には、宝物庫もありました。

武田神社 宝物庫



境内の右側にあった授与所です。
右端の御朱印記帳所にて、御朱印を書いていただきました。

武田神社 授与所



南側には大量の絵馬が掛けられていました。

武田神社 絵馬



百鬼丸(武田信玄公)の切り絵が入った500円の御朱印です。
こちらは書いた物の渡しになります。
武田神社 百鬼丸


↓こちらは書いていただきました。
武田神社



今回は、長野~山梨をまたいだ御朱印行脚をしました。

朝6:30に岐阜を出て、10時頃に「松本城」、昼頃に「深志神社」に行き、
17時前に「山梨縣護國神社」を参拝後、武田神社となりました。9寺社はかなり大変でしたが、とても有意義に参拝することができました。<(_ _)>



場所:武田神社



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