2019
07/06
土
石製の明神系鳥居です。
参拝日は五月の後半でしたので、「令和」のノボリがありました。
一の鳥居の後ろにありました、「別表社 深志神社」と刻まれた社号標がありました。
社号標の横にある「深志神社 梅風閣」と書かれた看板は、結婚式場になります。
袖柱が付属する両部鳥居の二の鳥居は、朱色に塗られた木製鳥居です。
二の鳥居を過ぎた左手に、カラフルに装飾された手水舎がありました。
参道右手には深志神社の境内図がありました。これがあると、何がどういう名前なのか一発でわかりますので大変有難いです(^^)/
参道正面にあるのは「神楽殿」になります。
右の神苑の高木が日除けになって、涼しさを感じられます。
神楽殿の右手前に深志神社の御由緒がありました。
「歴応二年(1339)九月九日信濃国守護小笠原貞宗公の御創建と伝えられる。信濃国一の宮諏訪大社より御分霊を受けて建御名方冨命をこの地に祀り宮村大明神と称える。永正元年(1504)深志城(松本城)築城にあたり社殿を南面から西面に直し、城の辰巳方の守護神とされた。
菅原道真公の奉斎は、応永九年(1402)小笠原長基公が京都北野天満宮より井川城外鎌田の地に勧請し、学問・文芸の守護神として威徳を仰いだ。後に小笠原秀政公が松本城主となるに及び慶長十九年(1614)天満宮を宮村宮の北側に遷し重修して宮村両社と称えた。寛永十一年(1634)より例祭日を六月二十五日(旧暦・現在は七月二十五日)に改め、松本南城下町(南深志)一円の総氏神として崇敬されて今日に至る。
歴代松本藩主(石川・小笠原・松平・水野・堀田・戸田家)の崇敬篤く、神領・祭器・神宝・社殿等寄進された。天保十二年(1841)深志神社と公称する。明治五年郷社、昭和三年県社に列し、昭和四十一年神社本庁より別表神社に指定される。」 と、書かれていました。
神楽殿です。江戸時代前期寛文十二年(1672)に建立され屋根など改修が重ねられています。深志神社に現存する最古の建物で、元は拝殿だったそうです。
神楽殿の右側には絵馬掛けと、菅原道真の十一歳の金色像がありました。
手前が神楽殿、奥が拝殿になります。
弊殿を伴う拝殿です。銅板葺きの入母屋造りで、唐破風の向拝付きになります。極彩色の装飾でカラフルに色付けされ、日光東照宮のように鮮やかに仕上げられています。
向拝にてお詣りをさせていただきました<(_ _)> 屋根下に深志神社と書かれた扁額は伏見宮貞愛親王御親筆だそうです。主祭神は由緒にありましたが、建御名方命と菅原道真公となります。
向拝より、本殿まで伺える拝殿内部になります。
もっとたくさんありましたが、境内社です。
上から順に、恵比寿神社、市神社、金山神社、愛染神社になります。
授与所と社務所になります。平日で境内は閑散としていましたので、授与所は開いておらず、社務所で御朱印を書いていただきました。
拝殿と本殿になります。
御朱印
場所:深志神社



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