2019
07/04
木
前回記事「[長野県] 現存する最古の天守① 国宝 松本城」の続きです(^^)/
今回も国宝『松本城』(まつもとじょう)について報告させていただきます!


芝生の庭園を廻って、天守入口にきました。ここで半券を渡して中に入ります。中はもちろん土足厳禁ですので、靴を袋に入れて、素足で中を見学します。
松本城は外から見ると五重の屋根で構成されていますが、中は6階建てとなっています。天守内は各所に展示物があり、見学しながら上階に行きます。
南側の開けられた窓から、城内庭園と月見櫓回縁の朱色に塗られた刎ね勾欄が伺えます。
火縄銃などが展示されているスペース、鉄砲蔵がありました。
たくさんの柱が立っていますが、どこも年季の入った色つやをしています。
北西を見た、、、これは3階くらいでしょうか? 本瓦葺きはとても重厚感があって好きです。隅棟のノシ瓦や破風屋根の鬼飾りまで、歴史を感じさせる美しさがあります。
5階からだと、景色も遠くまで見渡せて、さすがに高く感じます。南側の本丸御殿跡が綺麗に柵で囲われているのがわかります。
最上階6階の天井裏に松本城を守る、二十六夜社がありました。
守護神二十六夜社勧請の謂れ
「天守六階、小屋梁の上に二十六夜社を勧請したのは、天和四(1618)年である。其の年の正月、月令二十六夜の月が東の空に昇る頃二十六夜様が、天守番の藩士、川井八郎三郎の前に美婦となって現われ、神告があった。「天守の梁の上に吾を奉祀して毎月二十六日には三石三斗三升三合三勺の餅を搗いて斎き、藩士全部にそれを分かち与えよ、さすれば御城は安泰に御勝手向きは豊なるぞ」翌朝このことを藩主に言上し、翌二月二十六日に社を勧請し、以来明治維新に至るまで其のお告げを実行してきた。お蔭で松本城天守は多くの危難をのり越えて無事今日に至っている。」
と書かれていました。
内部観覧を終えて、月見櫓の石垣から外に出てきました~(^^)/
下からの大天守の全景です。右側は小天守になります。
天守入口に向かう通路の中間地点くらいからの天守全景になります。庭園に咲くピンクのツツジが映えます。
国宝松本城について
「松本城天守群は、大天守・乾小天守・渡櫓・辰巳附櫓・月見櫓の五棟で形成されています。大天守と乾小天守を渡櫓によって連結し、辰巳附櫓と月見櫓が複合された連結複合式の天守です。
これらの天守群は、昭和4年(1929)に制定された「国宝保存法」により、昭和11年(1936)4月20日国宝に指定されました。そして、戦後昭和25年(1950)に制定された「文化財保護法」により昭和27年3月29日再び天守五棟が国宝に指定されました。
松本城は標高590メートルの盆地内平地に位置し、平地に築かれた平城です。
大天守と乾小天守、その両者をつなぐ渡櫓は、戦国時代末期に築造され、辰巳附櫓と月見櫓は、江戸時代初めに造られたと考えられています。現存する天守12城のうち五重六階の天守としては日本最古の天守となります。」
5階から見た本丸御殿跡の柵(ライン)は瓦を立てて表示していたようです(^^)/
帰りに内側から見た黒門です。手前にある灯籠は「水野忠直奉献灯籠」です。水野忠直は松本藩主を務めており、松本城主でありました。
この
写真は絵葉書にしても良いくらい(^_^)v *この画像だけ多少拡大できます♪

新しく出た朱印が押された登閣記念印です!
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場所:松本城



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