2019
06/24
月
久尻神社に続いては、本日3ヶ所目最後の場所、『妻木八幡神社』(つまきはちまんじんじゃ)になりました(^^)/ まずは参道入口です。左端の方に燈籠と鳥居がありますが、参道はその3倍ほどの幅があります!
右端にありました社号標には「八幡神社」と石柱に刻まれています。正式名称は「八幡神社」(はちまんじんじゃ)になります。妻木町にあることから、妻木八幡神社の呼称で呼ばれていますので、表題を書かせていただきました。
「廿二夜」(にじゅうにや)と書かれた石碑が社号碑の横にありましたが、、、何だろ(^^;)
知ってる人いたら教えて下さい(^^)/
燈籠と一の鳥居は明神系になります。
左手入口際には大きな社務所です。正面の授与所にて御朱印を書いていただきました。
社務所の先には手水舎がありましたので身を清めます。
手水舎の奥にありましたのは「儀式殿」です。
細かい砂利が敷かれた参道です。ホントに綺麗に整備されています。
ここは「流鏑馬神事」(やぶさめしんじ)を行う場所になります。年に一度の例祭(10月)には、参道が人で埋め尽くされるようです。
妻木八幡神社の流鏑馬神事 について紹介されていましたのでご覧下さい(^^)/
参道途中の右側で「神楽殿」の改修工事をしていました。この神楽殿では、流鏑馬神事の時に巫女さんが、お神楽を奉納します。
社殿がある場所まで来ました。石段の上に社殿があります。左側に手水舎(ここにもありました!)右側に神馬の像があります。
銅板葺き入母屋造り、唐破風向拝付きの社殿です。一部流造りのように屋根が下に延びています。正面向拝上には金文字で八幡神社と書かれた扁額が掛かっています。御祭神は応神天皇(おうじんてんのう)になります。
八幡神社の由緒は
「妻木 八幡神社の創建は、一説に元応元年(1319年鎌倉時代)に美濃国守護土岐頼貞の孫、土岐明智頼重が妻木城築城後に創建したといわれています。
そして、関ヶ原の合戦(1600年)の後、7,500石の旗本になった妻木家頼は、社領として49石を寄進し、流鏑馬神事を始め、社殿を造営するなどして、ほぼ現在の神社の規模になりました。しかし、万治元年(1658年)妻木頼次(家頼の孫)の急死により、妻木氏は断絶し妻木城は廃城になりました。以降、妻木村は、分家妻木氏二家(江戸在住、上郷妻木氏、下郷妻木氏)に統治される事になり、八幡神社は妻木氏の氏神から、村民の産土神として崇敬を集め、神社の修理造営は村民達の手で行われるようになりました。
江戸時代までは、境内に神宮寺として円光山大鏡寺八幡院がありました。明治維新の神仏分離令により、八幡院は廃寺になり、建物や仏像は他へ移されました。また、社領49万石は没収され、流鏑馬は明治三年を最後に廃絶し、10年後に復興されました。
その後、郷社、県社として近隣町村の崇敬を集めました。昭和二十年の敗戦とともに、宗教法人八幡神社として再発足し現在に至ります。」
向拝の賽銭箱前にてお詣りをさせていただきました<(_ _)>
左前側からの社殿全景です。こう見ると不思議な屋根の構造をしています。
前からはわかりませんでしたが、本殿の前に弊殿の屋根がありました。本殿は銅板葺き流造りになります。
お詣りが済み社務所に戻り、御朱印を書いてもらっている間に、社務所手前にある茅葺き屋根の古民家?がありましたので、見学してきました。中は民芸品などが売られているようでした。
更に道を奥に行くと、お馬さんがいました。とても大人しかったです。
御朱印です。
場所:妻木八幡神社



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