2019
06/15
土
願蓮寺の続いては、本日最後の訪問地となります、
歩いて数百メートル東に行った所にある『日吉神社』となりました(^^)/

参道入口には、「郡上八幡春まつり」の提灯とノボリが飾られて、大神楽の到着を"今か今か"と商店街の人達が待っています。
提灯で隠れていましたが、社号標には「金弊社 日吉神社」と刻まれていました。
参道の境内手前に奉納提灯がぶら下げられており、祭りの雰囲気は最高潮でした。
境内は一段上がった場所にあり、階段の上には鳥居が建っています。扁額は銅製で日吉神社と書かれていました。
鳥居は北側入口ですが、境内西側には神門がありました。
境内全景です。屋根は珍しく鋼板製?なのかな?赤色の屋根はあまり見た記憶がありません。縁起に書かれていましたが、昭和42年に弊拝殿は全焼したらしく、現在の弊拝殿は昭和44年の再建です。
鳥居くぐって、左手すぐに手水舎がありましたので、身を清めます。ここは、まだかろうじて桜が残っていました(^^)/
手水舎の奥にありましたのは、「参集殿」になります。当日はお祭りの準備している町内会の人達なのかな~?沢山の人が会食してました(^^;)
拝殿の前には、日吉神社の縁起がありました。
「往古この地は原野にして宇大美屋と称し西に向いて一小祠あり開基舊きにて其初を知らず。
天正年中(西1573~1591)遠藤慶隆この社に戦勝を祈り安久田村日吉社をも勧請合併して社殿を営み城南の鎮護とす
慶長五年(西1600)(開原の役)稲葉合戦の折遠藤慶隆赤谷山王へ祈誓こもりたまいたれど其の證もなく危難にて逃れたまいよって赤谷大宮を悪田へ送りたまい後に本地したまう
正保二年(西1645)城主曽祖母知勝院殿之を再興し城主御子孫繁繁昌を祈る
寛文七年(西1667)八幡宮祭礼始めて行はれ城主御子孫相続御願の為此の社内を以って御旅行所となす
貞享二年(西1685)願主 吉田作左右衛門 直良 寺社奉行 松井彌五左右衞門 高澄
先は城主運長久世世御相続の為次は「子孫繁栄」「息災延命」「現世安穏」「後生善慮」の為大宮
權現拝殿を修造す
宝暦十三年(西1763)御普請 平野長兵衛 世話人 市原勘三郎 平野甚助 外多数 社殿造営す
昭和四十二年一月二十三日 幣拝殿全焼す
昭和四十四年四月 弊拝殿再建す」
と書かれていました。
拝殿正面の全景になります。右側には境内社の稲荷神社もあります。
主祭神は大山咋尊(おおやまぐいのみこと)になります。
外陣の床には赤い敷物があり、日吉神社の扁額が掲げられています。奥の本殿には祭壇が伺えます。拝殿にてお詣りをさせていただきました<(_ _)>
参拝を終え参道を戻り、商店街の大通りに出ると、春まつりの大神楽が練り歩きから戻ってくるところに遭遇しました。
大神楽は岐阜県重要無形民俗文化財に指定されているそうです。
慌ただしい中で、御朱印をいただきました。
場所:日吉神社(郡上市)



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