2019
06/01
土
二見興玉神社参拝後は、この神社の境内社である『龍宮社』(りゅうぐうしゃ)になります(^^)/ 遙拝所から先の参道を進むと、東側の海岸線に売店が2軒ありました。
「契りの松」:江戸時代末期お陰参り、抜け参りと伊勢参詣が最も賑わった頃、阿波国(徳島県)より若い男女がこの二見浦の浜で身を海水に浴み塩垢離(みそぎ)をし、着物を松の木にかけて結び 夫婦の契りと子孫繁栄を祈願したところから 「ちぎりの松」 と呼ばれている。 そうです。
契りの松を過ぎると、参道がカーブしている先に「龍宮社」が見えてきました。
先に、「龍宮社授与所」がありました。その向こうが社殿になります。
龍宮社社殿です。手前のスペースがないので、鳥居が社殿のすぐ前に立っています。社殿は屋根までコンクリート造のようで、朱色と緑色に塗り分けられていました。右側狛犬の横には龍宮社と赤字で書かれた寺号標までありました。
先程の反対側から見た社殿です。左端に飾り樽、由緒書き、手水舎と並んでいます。
龍宮社由緒には、
「祭神、大錦津見神は海の守護神として、あがめられ当神社は全国の漁業船舶関係の方の信仰があつく又龍宮さんとして不可思議な霊験により一般の信者の方々に尊ばれ心願成就、開運、商売繁昌、海上交通安全、大漁満足等の御利益のある尊い神様であります。
郷中施
龍神をお祀りせし起源は寛政四年(1792年約200年前)旧暦五月十五日大津波の為二見郷江村の民家の大半が流失、無難の家は僅か五、六軒という前古未曾有の災害が発生し、村人たちは隣人相助け合い他人に同情を寄せたり精神的、物質的な援助を行い 郷(村)中施し合ってこの水難から立ち直り、以来犠牲者の追善供養又今後再び水難に遭遇せぬようにと海の安全を祈願して五十鈴川江の河口に龍神を勧請した。
爾来今の地に遷るまでは大江寺の住職が祭祀を怠らず追善供養の誠を捧げると共に村人の祈念により村内平穏に今日まで至った。
この龍神社は五十鈴川河口の埋立護岸工事の為、昭和十三年、当社境内の一隅に遷され龍宮社と称し、昭和二十六年二見興玉神社の承認を得て同年六月十八日龍宮社と奉称、昭和四十六年十二月二十日現在の社殿が造営された。」と書かれていました。
手水舎にて身を清めてお詣りに行きます。
社殿正面です。石製鳥居の両脇には、綺麗に塗装された阿吽の狛犬がいます。
御祭神は「綿津見大神」(わたつみのおおかみ)になります。
拝殿入口横には「八大龍王大神」と書かれた石碑がありました。八大龍王は法華経が元の信仰ですが、日本では昔から雨乞いの神様として祀られてきており、各地に八大龍王の神社ができました。龍宮社も津波による被害を受けた時に「八大龍王大神」と海の守護神「綿津見大神」を祀るようになったみたいです。
社殿(拝殿)の庇上には「龍宮社」と書かれた扁額が掛かっています。中に入りお詣りをさせていただきました<(_ _)>
先程の授与所が御朱印受付でもありますので、書いていただきました(^^)/
参道を更に進んだ先、参道東出口に朱色の鳥居がありました~!こちらは塩害で塗装が剥がれてきていました。。。 社号碑はありませんでしたが、二見興玉神社と龍宮社の社名看板が立てられていました。次はここから近くにある「潮音山 太江寺」に行きます。元輿玉社があると言うことで、お待ち下さい(^^)/
御朱印です。
場所:龍宮社



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