2019
05/16
木
冬の真っ只中の2月初旬、今回は岐阜県美濃市上条にある『八幡神社』(はちまんじんじゃ)に行きました(^^)/ 冬晴れの青空を期待しましたが、終始曇天の
画像にて申し訳ありません。。。
駐車場はわからなかったので参道口に
停め、入口に来ました。



右側に建つ社号標には「金弊社 八幡神社」と、岐阜だけに残る旧社格が刻まれています。
石製の鳥居には「八幡宮」と書かれた扁額が掲げられています。
鳥居をくぐってすぐ右手に、「神楽舎」と書かれた建物がありました。神社で神楽を奉納する御殿ですので、4月にある「美濃まつり」に使われるのでしょうか?
長~~~~~~~い参道です。幅も広いので余計に境内が遠く感じます(^^;)
参道途中の右手にあったのは、幹がコブのように異様な膨らみがある「御神木 垂乳根(たらちね)」です。どうやら、樹皮の間にお賽銭を挟むため、こうなっちゃったのかな?
境内に入り、正面には狛犬に赤い灯籠、その奥に拝殿があります。
境内の左手最初に社務所がありました。入口の右側受付で御朱印を書いていただきました。
社務所前には、朱色柱の「おみくじ結び処」がありました。
おみくじ結び処の奥には、こちらも朱色の手水舎がありました。身を清めます。
手水舎の横にありましたのは、御神木の「夫婦杉」です。
樹齢500年らしいですが、戸隠神社の参道杉並木を思い出しました(^^)/
銅板葺き切妻屋根の拝殿になります。主祭神は応神天皇になります。八幡神は誉田別命(ほんだわけのみこと)とも呼ばれ、応神天皇と同一とされます。
八幡の神紋は「三つ巴」と考えられていますが、ここは「橘紋」が神紋になっています。
拝殿左側の格子の前に八幡神社の縁起がありました。
八幡神社由来略記 祭神 應神天皇(誉田別命)(ホンダワケノミコト)
「由緒 創建の年月不詳、古老の口裨によれば、世々の国司・守護・地頭・領主の崇敬厚く、特に土岐家の信仰浅からず、武運を祈り願書を本社に納められたと伝えられている。
北朝永徳二年<南朝弘和の年(1382年)>に土岐大膳大夫は城地(現在の岐阜長森附近)にあって社頭修繕の事あり。又、天正年中(1573~1586年)領主佐藤才治郎方政より社領の寄付状及びその臣林久兵衛忠純の書面を添えて納められた事がある。これらの書面等も多くあったがしばしばの兵火にかかり今はない。
宝永五年(1709年)二月、神道管領卜部兼敬は勅使を以って当社に正一位八幡宮の称号を授けられた。
中古には有知郷又は神地と言い近在の総鎮守たるべしと伝えられている。
明治十二年六月二十日郷社に列せられ、明治三十九年勅令第九七号をもって神饌幣帛料を供進すべき社に編入された。」
拝殿前の入口上には「八幡宮」と書かれた扁額がかかっています。
拝殿内のお賽銭箱の前からですが、ピンぼけな
写真で申し訳ありません。。。

奥の本殿が伺えます。 拝殿にてお詣りをさせていただきました<(_ _)>
外から見た本殿です。銅板葺き流造りとなっています。
本殿横には数多くの摂末社がございました。(こちらもピンぼけですいません…(^_-))
御朱印にも橘紋がありました!
場所:美濃八幡神社



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