2019
05/06
月
南側の木曽川堤防沿い道路に入口がありました。
寺号碑には「龍興山祐泉禅寺」と刻まれています。山号は龍興山、寺号は祐泉寺で、正式名称は龍興山祐泉寺になります。臨済宗妙心寺派の寺院です。
山門の降り棟鬼飾りはかなり面白い顔をしています。又、軒瓦の紋に「五三桐」があしらわれていましたが、天皇から下賜されたことがあったんでしょうか?
山門正面に本瓦葺き入母屋造りの本堂がありました。御本尊は聖観世音菩薩です。美濃西国三十三観音霊場の第二十七番礼所になっています。(祀られているのは隣の観音堂です)
祐泉寺の北側の道は旧中山道で、太田宿の宿場町にあるお寺として知られる存在です。境内東側には太田宿の説明看板に祐泉寺の縁起が載っていました。
「龍興山祐泉寺は臨済宗妙心寺派の寺院で、寺伝によれば文明6年(1474)、土岐源氏・土岐頼政の次男、東陽英朝禅師(大道真源)が湧泉庵という庵を結んだことにはじまるといわれています。
永正年間(1504~1521)には八百津の大仙寺の末寺となり、祐川庵といいました。寛文年間(1661~1673)には、関の梅龍寺末寺の祐泉寺となり、明治になって妙心寺本山の直末となりました。
また、火難水難から守るとの言い伝えが残る瀧場観音があり、美濃西国27番目の礼所になっています。
境内には坪内逍遥や北原白秋といった文人が読んだ歌碑、槍ヶ岳を開山した播隆上人、「日本ライン」の命名者、志賀重昂の墓碑などが残されています。」
境内南西からの全景です。左が観音堂、右が本堂です。境内は小粒の砂利を敷き詰めてほうき目を付けるなど、手入れはかなり行き届いていてとても美しかったです。
本堂西側にあります、銅板葺き入母屋造りの「瀧場観音堂」です。もちろん観音様が祀られていますが、中濃八十八ヶ所のプレートも掲げられていますので、弘法大師様も祀られているようです。
観音堂向拝にてお参りをさせていただきました<(_ _)>
鐘楼は山門入ってすぐ右手、庫裡の前にありました。鐘楼前には芭蕉の句碑があり、美しく整備された庭園の中に手水鉢がありましたので、身を清めます。
白壁と木のコントラストが美しい大きい庫裡です。左側には唐破風屋根の玄関があります。玄関前には中山道太田宿と書かれた表示灯もありました。
境内南西から本堂と庫裡、鐘楼を見ています。透き通る青空に負けない境内伽藍です。
本堂前には子安地蔵、本堂の左側には坪内逍遥の歌碑がありました。本堂向拝手前にある2本の石柱の間を通って本堂内にお参りに行きます。
本堂前(向拝)に、「龍興山」と山号の書かれた扁額が掲げられていました。開いていませんでしたので、玄関でチャイムを鳴らし、本堂内でお参りをさせていただきました<(_ _)>
木曽川の堤防から祐泉寺の全景になります。
御朱印(納経印)
場所:祐泉寺



よろしければポチッとお願いします(≧∇≦)ノ

この記事と関連する記事
AFTER「[岐阜県] 美濃西国三十三観音の宝積寺」
BEFORE「[岐阜県] 美濃西国三十三観音の万尺寺」
COMMENT