2019
05/04
土
国道21号通りに面して入口があり、右手の石柱に山号である「恵昌山」と刻まれ、左手の寺号標(石柱)に寺号の「萬尺寺」と旧字で刻まれています。正式名称は恵昌山万尺寺で、臨済宗妙心寺派の寺院になります。
境内参道の廻りは、高木・低木の植栽で埋め尽くされています。今回山門はありません。
左に斜めに参道を進むと開けた場所に出ました。奥にある本瓦葺き入母屋造りの大きい建物が本堂になります。
右手に庫裏があり、左手には阿弥陀堂がありました。赤い薬師如来のノボリと、向拝の柱には「中濃八十八ヶ所」、「中部四十九薬師霊場」の札が掛かっていました。
阿弥陀堂の左には鐘楼がありました。
阿弥陀堂向拝です。中濃八十八ヶ所霊場の第六十番、中部四十九薬師霊場の第四十八番礼所となっており、堂内には、阿弥陀如来、薬師如来、子胎地蔵、荼枳尼天、弘法大師を安置しております。
本堂の前に阿弥陀堂にてお参りをさせていただきました。<(_ _)>
本堂正面全景です。昭和五十年(1975)に本堂を再建しており、鉄筋コンクリート造となっています。今回のお参りの目的であります、美濃西国三十三観音霊場の第二十二番礼所となっています。御本尊は聖観世音菩薩で、秘仏につき十七年毎に御開帳するようです。
本堂にてお参りをさせていただきました。<(_ _)>
万尺寺の縁起は
「正治年間(1199~1201)鎌倉幕府の有力御家人であり、坂東武士の鑑と称された畠山荘司重忠の菩提寺として、太田城房の地に創建され、当時は七堂伽藍を備えていた。天台宗の寺院であったが室町期の兵火に罹災し、記録も共に焼失したという。文明三年(1471)妙心寺六世雪江宗深が高弟、景川宗隆禅師が再建し、禅に改宗した。寛文八年(1668)に妙心寺派に転宗した。元禄五年(1692)にも火災に遭い、焼失したが二年後に再建された。」
本堂前には子育観世音菩薩が祀られています。
本堂に右側に玄関がありました。右に行くと先程の庫裡に行きます。
本堂左側には、福寿稲荷が祀られていました。
納経印
場所:万尺寺



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