2019
04/28
日
今回はボクの御朱印始まりの場所、地元岐阜市長良にある『長良天神神社』(ながらてんじんじんじゃ)に行きました(^^)/ 何故行ったかと言うと、当日左義長があるからと言うのもあるんですが、自分のブログを最初【長良天神で御朱印集めGO!】から見返したら、なんと粗末なことか…(^^;) 内容が全くないことに驚きまして、今回再度ご紹介しようと思いました!
まずは、「南大鳥居」がある入口です。扁額には「長良天神」と書かれており、社号標には「天神神社」と石碑に刻まれています。ここ長良天神神社は、正式名称が社号標の天神神社になり、長良天神は別称(通称)となるようです。
参道の中程で一般道が横切っている場所に、二の鳥居と社号碑がありました。
長良天神御由緒が書かれていました。
「承久年間美濃国の目代に任じられた北面の武士斉藤帯刀左衛門尉親頼を祖とする、美濃国の斎藤氏が氏神として当神社を勧請す。
寛正年間斎藤帯刀左衛門尉利藤が本殿を造営し、永正年中斎藤帯刀左衛門尉利安及長井越中守長弘によって本社を修復し、天正十六年池田三左衛門輝政社壇を構築寄進す。
江戸時代長良が尾張藩の所領となるや、尾張藩も亦当神社を尊崇し、藩主代替わりの都度に代参の派遣を恒例とし、七代宗春侯・九代宗睦侯・十二代齊荏侯は、親しく当社に参拝の事あり。また尾張の支藩高須城主も、本家と同じく篤い崇敬を寄せ、十代藩主義建侯は二度に亘って、心願と報賽の故を以って神額を奉納されている。
かく武門の篤い尊崇が寄せられたので郷民の崇敬も亦厚く、長良三郷の惣社と仰ぎ、慶長年間に社殿の造営、元和年間に拝殿の再建、享和元年に本殿の造営(現存)嘉永五年に拝殿の造営(現存)を奉仕する等、古来より神威の高い神社である。」
神門の手前右手に「祭神 菅原道真公」、左手に「昭和大造営記念碑」と刻まれた石碑がありました。天神神社では学問の神様として菅原道真公はもちろんです。昭和大造営は、伊勢湾台風により甚大な被害を受けた神社の修復が昭和61年に完結し、記念碑が建てられたようです。
緑青がかった銅葺き屋根の神門になります。神門も昭和41年に造営されております。
神門の扉には、菅原道真公が祀られた天満宮にある、「丸に梅鉢」の神紋があります。
神門をくぐり、境内に入った右側の「天神の森」の中に辰山稲荷がありました。
左側には手水舎があり、身を清めました。
当日は境内で左義長がありましたので、正月飾りを持ってきました(^^)/
拝殿前の見事なしだれ梅です。菅原道真公が愛した梅は春に立派な花を咲かせます。
社務所前から見た拝殿全景です。入母屋造りの本瓦葺きで、向拝部分は唐破風の銅葺きに下屋付きという変わった形でした。この日は参拝客がかなり多かったです。
正面からの拝殿です。嘉永5年(1852)に拝殿の造営されたものが現存しております。写真を撮り忘れましたが、奥の本殿は享和元年(1801)の造営(現存)になります。
拝殿向拝も人がいっぱいで、ちょっと順番待ちしながらお詣りをしてきました<(_ _)>
賽銭箱の横に撫で牛がいました。天満宮(天神社)で牛は眷属(神様の使い)ですので、撫で牛の頭を撫でて、頭が良くなりますように<(_ _)>と、、、テカテカでした(^^;)
社務所にて、長良天神で2回目の御朱印をいただきました~(^^)/
天神の森と天神神社
天満大自在天神と書かれている御朱印
場所:長良天神神社



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