2019
04/26
金
古知野神社から
歩くこと10分、約1キロ東の北野町にある『北野天神社』(きたのてんじんしゃ)に行きました。南側道路に面した入口です。

入口右側にある社号標には「北野天神社」と石碑に刻まれています。
石製の鳥居に「北野天神社」と書かれた扁額が掲げられています。両脇には「筆まつり」と書かれた青いノボリが立っています。毎年一月に行われる「筆まつり」では、長さ約4m、重さ50㎏ほどの大筆が御所車に載せられ引き回されます。
参道にも色とりどりの筆まつりノボリが立てたれています。
参道中程にある太鼓橋ですが、古知野神社と同じく通行止めでした┐(-。-;)┌
前回の古知野神社にもありましたが、ここにも「蕃塀」(ばんぺい)がありました。
手水舎で身を清めます。水盤の横にある屋根の下は古井戸かな?
北野天神社の由緒がありました。
「この北野天神社は菅原道真公をおまつりしたお社で、昔から「北野の天神さん」の愛称で親しまれ、学問の神として尊ばれて来た、まことにあらたかなお社であります。御祭神菅公は、今より千百有余年前、承和十二年六月廿五日丑の日にお誕生になり、その生涯を通じて、至誠の道を垂範せられ、よく勉学に励まれて右大臣といふ高位に任せられた立派な方でありますが、俊才のあまり、これをねたむ者の偽計により流罪にあわれ、牛車で送られる道中、待伏の賊の難を牛によって、まぬがれたと云われる。天神さんの使いと云われる牛は、教育の基本を象徴したものとも云われ、即ち、牛を見習え(反芻=くりかへす)ば何事も出来ない事なしと論したものであります。この北野天神は、菅公が流されたので、子が難を逃れて各地に散住し、一人がこの地に住つき、后年祖先(菅公)まつりし、地名を由縁の北野と名づけたのが起りといわれています。延喜三年二月廿五日昇神されたので、月の廿五日は天神さんの日として言伝へられたのであります。人作りの基、教育が益々必要な今日、教育の神として御神徳あらたかな、いわれ深き北野天神への尊崇の念を一そう深め、御加護により、子の勉学を高め、親の心をみたすべく、進入学祈願祭、筆まつり、行事として、大筆奉納式典、書道上達祈願を盛大にし、北野天神の御霊験を広く世に知らす次第であります。」
と書かれていました。
筆が祀られているだけあり、筆の絵が描かれた絵馬が絵馬掛けにたくさんありました。
社殿前の狛犬ならぬ、狛筆??(^^;) なかなか乙な感じです! 右側の「天神筆」と書かれた方には「願かけ牛」と書かれた、小さい「撫で牛」のような石像が祀られていました。
社殿(拝殿)全景です。社殿廻りは高木が多く神聖な感じが漂います。御祭神は、先に書いた由緒にありますが、菅原道真になります。筆が祀られているので、字の上達を祈願しての参拝者や、合格祈願の受験生が多く訪れます。創建は承応三年(1645)になります。
北野天神社と書かれた扁額のある向拝にて、お詣りをさせていただきました<(_ _)>
拝殿の奥にあります本殿です。
拝殿横、本殿手前には御神木の楠がありました。
本殿横には「紅梅殿の別れ」と書かれた看板が!! 赤い巨大な筆に、
「東風(こち)吹かば にほひおこせよ梅の花 主なしとて春を忘るな」
と先程の常照院でも見かけた和歌が書かれていました(^^;)
社務所と祈祷申込書です。祈祷申込書にて御朱印をいただきました。
今回の愛知県江南市では、お昼から下記の3ヶ所を2時間程で巡拝できました。
御朱印
場所:北野天神社



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