2019
04/18
木
松原神社に続いて今回最後の訪問地、小田原市城山にある『居神神社』(いがみじんじゃ)です。旧東海道(国道1号線)をそのまま西に
進んでいる途中、お菓子屋さんで「ういろう」というお店がありました。まるでお城やん!?( ̄▽ ̄;)!!

1.5㎞ほど
進んだ所に「居神神社」と書かれた看板がありました。

ここも"初詣"看板でした(^^;)
入口からちょっと中に入った所に第一鳥居と社号標がありました。
右の社号標には「居神神社」と刻まれています。
居神神社の御由緒が書かれていました。
「当神社の創建は、永正年間とされておりましたが、平成二十八年に歴史愛好家によって、永正十七年(1520)であることがわかりました。
この年は、小田原城主北条氏綱公が小田原城内や城下を整備した年です。
境内地は北条氏の軍奉行、山角信濃守の住まいを転居させた跡地であること、神輿巡行は創建の翌年から初まり馬出門にて祈祷と異例にも城内祈祷が順路の中に含まれており青物町、欄干橋町、安齊小路浜下り祈祷、板橋地蔵堂前に至るとあります。又、当社創建同年氏綱公は、ご祭神の墓所の土地を父三浦道寸ゆかりのお寺に寄付しております。このようにさまざまな事例により居神大明神は永正十七年に北条氏綱により創建されたものと考えられております。」
鳥居をくぐり、石段を登っていきます。中段の広い場所に第二鳥居があります。当時は初詣ということで、仮設テントでお守りなどの販売をしていました。
中段の左手には境内社の水神社、「勝って兜の緒を締めよ」と書かれた石碑がありました。
小さいですが立派な手水舎です。身を清め御祭神にお詣りに行きます。
中段から更に石段を登り、社殿のある境内に出ました。正面が社殿(拝殿)になります。緑豊かな高木に囲まれ神聖な雰囲気があります。
境内左には、真ん中に聖徳太子堂、その右にあるのは宝物殿です。
境内右側には、右から神楽殿と境内社が二つ伺えます。
拝殿です。アップで
撮ってくるの忘れましたが、向拝部分の唐破風屋根下にある彫刻がめちゃくちゃ凄かったです。主祭神は北条氏の敵将であった、三浦荒次郎義意公(みうらあらじろうよしおきこう)を祀っています。明治に入り二神社を合併し、木花咲耶姫命(このはなさくやひめのみこと)、火之加具土神(ひのかぐつちのかみ)を合祀しています。

三浦荒次郎義意公は三浦一族最後の当主で、新井城(正式名は三崎城、三浦市に存在した)で北条氏に敗れ(1516)、自刃した首が当山の松の木まで飛んできたという伝説があります。敵将を自らの領地に祀ることは極めて珍しいとされています。
ガラス張りの扉の中で祈祷されている方も見えましたが、
向拝にてお詣りをさせていただきました<(_ _)>
先程の中段に戻り、社務所にて御朱印を書いていただきました。
御朱印
場所:居神神社



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