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大人の事情 ~御朱印ライフ~

付き合いで始めた寺社(御朱印)巡り、今じゃ週末のライフワークになりました~♪

2019 04/14

[神奈川県] 二宮尊徳(金次郎)を祀る 報徳二宮神社


小田原城の観覧を終え、同じ城址公園内にあります『報徳二宮神社』(ほうとくにのみやじんじゃ)に向かいます。入口には「報徳二宮神社」と書かれた、背の高いノボリがありました(^^)/

報徳二宮神社 入口ノボリ 



第一鳥居は木製で、控え柱のある伊勢鳥居です。鳥居柱は伊勢の猿田彦神社と同じ八角形となっていました。社号碑は見当たりませんでしたが、社号が書かれた社号板(掲示板)がありました。

報徳二宮神社 第一鳥居 


石畳の参道沿いには、氏子崇敬会の提灯が数多く飾られていました。

報徳二宮神社 提灯 


参道中程に数段ある石段の上に、石製の第二鳥居がありました。

報徳二宮神社 第二鳥居 


報徳二宮神社の主祭神である「二宮尊徳 翁」の像と、尊徳翁について書かれた立て札がありました。

報徳二宮神社 二宮尊徳像 

「 経済なき道徳は戯言であり 道徳なき経済は犯罪である

 江戸時代後期の農政家・思想家。通称金治郎。尊徳は武士の名乗り。
幼少時の逸話が一般に知られているが、後に「報徳仕法」と呼ばれる独自の方法と理念で、小田原藩や日光神領などを含む、多くの諸家諸領の復興に尽くした。直後・間接的に指導した農村は六百余りにものぼる。
 内村鑑三著「代表的日本人」の中でも、十九世紀末、欧米諸国に対して「日本人の中にも、これほど素晴らしい人物がいる」と苦難の時代を救った偉人として尊徳翁は紹介されるなど、明治時代以降の政財界人にも多くの影響を与えたのである。
 翁の教訓や訓言は、今の時代にも通じる、私達が手本とすべきものばかりである。」

立て札の向こうに見える建物は「祈祷殿」になります。


尊徳翁像の隣には立派な手水舎がありました。身を清めて参拝に進みます。

報徳二宮神社 手水舎 


ですが、、、ここまで来て参拝客が多すぎて、最後尾の並びへ行くのに、参道を戻る羽目になりました( ゚Д゚)ガーン 社殿まで参拝客が続いています。

報徳二宮神社 参道 


第三鳥居は青銅色なので、銅板巻きとなっているようです(^^;)

報徳二宮神社 第三鳥居 


第三鳥居からでも社殿まではかなりありますが、並んでいます…

報徳二宮神社 第三鳥居から本殿 


第三鳥居の左手には二宮金次郎像と、絵馬掛けがあります。
金次郎像について立て札に書かれていました。

報徳二宮神社 二宮金次郎像 

「昭和三年、昭和天皇の即位御大礼記念として、神戸の中村直吉氏が寄進したもので、制作者は三代目 慶寺丹長 材質はブロンズ。その後、これと同じ像は全国の小学校などに向けて約一千体制作されたが、戦時中、すべて供出に遇い、現在残っているのは、この一体だけである。
 なお、この像は当時のメートル法普及の意図を反映して、丁度一メートルの高さに制作されている。」


社殿(拝殿)です。ホームページには「御社殿」と書かれていました。
屋根は綺麗な緑青が出ており、社殿は神明造りとなっています。

報徳二宮神社 本殿 

報徳二宮神社の由緒は

「明治27年(1894)4月、二宮尊徳翁の教えを慕う6カ国(伊勢、三河、遠江、駿河、甲斐、相模)の報徳社の総意により、翁を御祭神として、生誕地である小田原の、小田原城二の丸小峰曲輪の一角に神社が創建されました。明治42年本殿・幣殿を新築、拝殿を改築し、神宛を拡張し現在の社地の景観をを整えました。平成6年(1994)には創建百年記念奉告祭を斎行して今日に至っています。」


御社殿前にてお詣りをさせていただきました<(_ _)>

報徳二宮神社 本殿前 


御社殿の左手前には「授与所」がありましたが、当日は正月三が日と言うこともあり、仮設の大きな授与所も併設されていました(^^)/

報徳二宮神社 授与所 

報徳二宮神社 仮授与所 


社務所にて御朱印を書いていただきました。
報徳二宮神社 

場所:報徳二宮神社



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