2019
04/12
金
今回は、参拝地として初めてとなります、神奈川県に行ってきました~(^^)/
神奈川に行ったのは正月の1月3日なんですが、実は息子の母校法政大学が箱根駅伝に出ているので、応援に小田原中継所に行きまして、ですが復路の最初ですぐに終わっちゃったので小田原観光となった次第です(^^;) あっ!息子が出てたわけじゃないですよ!!(笑)
最初に行ったのは参拝地ではありませんが、小田原のシンボル『小田原城』(おだわらじょう)です。正月三が日なのに天守だけはやっているとホームページに書かれてましたので、ここぞとばかりに行ってきました(^^)/ 城址公園近くの
有料駐車場に
車を停めて、登城口に
歩いて向かいます。



「小田原城大手登城口」です。城廻りはお堀があるので、入口すぐに「馬出門土橋(めがね橋)」があります。その奥に見える門塀は、「馬出門(うまだしもん)」になります。
馬出門土橋(めがね橋)の上から北を見ています。お堀の向こう側には隅櫓(復元)があります。その奥の赤い橋は「学橋」と書かれていました。西に渡ると二の丸跡に行きます。
「馬出門」です。馬出門は2009年に忠実に復元されていますので、かなり綺麗です。
馬出門の立て札に説明がありました。
「馬出門は、三の丸から二の丸に向かう大手筋(正規登城ルート)に位置する門です。寛文12年(1672)に枡形形式に改修され、江戸時代末期まで存続しました。
石垣と土塀で四角く囲んだ枡形と、本柱と控柱を備えた高麗門形式の馬出門・内冠木門の二つの門から成ります。」
馬出門をくぐると「小田原城案内図」がありました。正規登城ルートが赤色で示されていますので、それ通りに進んでいきます。
お堀に沿って
歩くと「住吉橋」が見えました。「銅門(あかがねもん)」に入るお堀に掛かっています。今年28年ぶりに架け替えられたようです。

「銅門(あかがねもん)」です。屋根にシャチホコが付いた大きな門です。
銅門の立て札に説明がありました。
「天守閣へ通じる登城ルート上に設けられた、二の丸の表門。
扉の飾り金具に銅を使用していたことから、その呼び名がついたと言われている。当時の工法により平成9年(1997)に復原。櫓門の梁:マツ 柱・扉:ヒノキ」
銅門の中で見上げると、大きな梁が綺麗な釿(ちょうな)仕上げとなっていました。釿仕上げとはボク達建築屋では、スプーンカット(スプーンでえぐったような)とか、なぐり加工と言います。
銅門を通り広場に出ると、「銅門土塀模型」がありました。
模型のあった北側には「小田原城歴史見聞館」がありましたが、正月でお休みでした。(^^;)
さらに天守の方に進むと、「小田原城跡のイヌマキ」と書かれた、小田原市指定天然記念物がありました。樹齢はわかりませんでしたが、幹回りは4.5mもあります!
ようやく本丸前の階段に来ました。赤い欄干の橋は「常磐木橋」、突き当たりに見える塀は「常磐木門(ときわぎもん)」に連なる塀です。
「常磐木門」です。
常磐木門の立て札に説明がありました。
「小田原城本丸の正門で、最も大きく堅固に造られていた。常磐木とは常緑樹の意味で、門のそばにあった松になぞらえて、この名がつけられたと言われている。
市制30周年事業として、昭和46年(1971)に再建された。」
常磐木門をくぐると広い「本丸」に入りました。斜め右に天守閣がありました。
本丸にあるチケット販売機で一般500円のチケットを購入します。
本丸跡の説明板がありました。
「小田原城の本丸は、東西83間(約150m)、南北63間(114m)ほどの規模があり、その西端に天守台、中央には本丸御殿がありました。本丸の周囲には石垣と土塀がめぐらされ、東と北の2箇所に門が設けられていました。東側の門は、本丸正門にあたる常盤木門、北側は裏門で鉄門呼ばれていました。
本丸御殿は、他のお城では藩主居館として用いられます。しかし小田原城では徳川将軍家の宿所としての役割を持っており、寛永10年(1632)の寛永小田原大地震で倒壊したため、翌年に上洛する三代将軍徳川家光の宿所として再建されました。
その後、将軍家の上洛が途絶えた後も維持されていましたが、元禄16年(1703)の地震により倒壊・焼失してからは、再建されることはありませんでした。
現在、本丸の東南には「巨松」と呼ばれる天然記念物のマツの巨木があります。元禄年間(1688~1704)の小田原城の姿を描いた「寛永年間小田原城廓総図(通称「宮内庁図」)」には、「七本松」と呼ばれた松の姿が描かれていますが、巨松は「七本松」最後の一本で、樹齢は400年を越えています。」
天守閣の全景です。昭和35年に江戸時代の姿として外観復元され、内部は歴史資料の展示施設となっています。詳しいことは小田原城ホームページでどうぞ(^^)/
小田原城は戦国時代の武将、北条氏の本拠地として関東に於いて代表的な存在で、北条氏に始まり、北条氏の滅亡によって終わった。と言われています。北条氏は五代100年にわたり関東支配の拠点とされ、四代目当主の北条氏政の時代に、上杉謙信や武田信玄の侵攻を退けるなど、難攻不落の城として知られています。
登城口は、石垣を上るように付櫓に向かって坂があり天守の中に入れます。
下から天守を見上げると、付櫓に入口がうかがえます。そこから中へ入り観覧ができます。
内部は5階建てになっていて、各階で時代毎の歴史紹介や、文化財の展示がされております。
5階にある展望デッキからの眺望です。南側は相模湾です。見える岬はどこだろう?(^^;)
東を向き、下に見える広場は本丸です。先程入ってきた常磐木門があります。
北を向くとJR小田原駅とその向こうに丹沢山が伺えます。
以上で、小田原城観光は終わりです。天気が良くて良かったです(^^)/
続いては、小田原城の敷地内にあります「報徳二宮神社」です。次回お楽しみに!
登閣記念印として摩利支天と書かれた朱印をいただきました。
場所:小田原城



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