2019
04/06
土
犬山七福めぐり① の続きです。残りの六、七番礼所の参拝と、同じエリアにあります国宝『犬山城』(いぬやまじょう)を観光してきましたので報告します(^^)/
残念ながら犬山城は御朱印(登城印)はありませんので、単独での報告は控えさせてもらいました。。。
六番 【針綱神社】 ←各ページの記事にリンクしています
御朱印
七番 【三光稲荷神社・猿田彦神社】 ←各ページの記事にリンクしています
御朱印
さて、ここからは、国宝犬山城に行きます。
先に
撮っていた犬山城入り口です。右の大きい錆石に『国宝 犬山城』と刻まれた城碑がありました。ここから上っていくと三光稲荷神社の北側に出ます(^^)/

順番的に本当は、下にある三光稲荷神社の参拝後に、ちょっと上にある針綱神社を参拝して、一番上にある犬山城に行きます。ボクもそうしました(^^;)
まずは、入口前にある入場券売り場にて入場券を買います。一般個人は550円になります。
入口の本丸鉄門です。こちらは復元されたものになります。入口で入場券の半券をもらい中に入ります。
本丸(城内)に入り、石畳通りに進む先に国宝の天守閣があります。犬山城は別名を「白帝城」と呼ばれ、日本の国宝指定された五城のうちの一つになります。
天守全景です。現存する天守の中では最も古いとされており、日本で最後まで個人が所有していた城(2004年まで個人所有)でもあります。
犬山城の歴史
「犬山城は天文六年(1537年)に織田信長の叔父にあたる織田与次郎信康によって造られました。
戦国時代なので、その後何代も城主が代わりましたが、1600年の関ヶ原合戦の頃を中心に、城郭は整備されていきました。
小牧長久手合戦(1584年)の際には、豊臣秀吉は大阪から十二万余の大軍を率いてこの城に入り、小牧山に陣をしいた徳川家康と戦いました。
江戸時代になり、尾張藩の付家老、成瀬隼人正正成が元和三年(1617年)城主となってからは、成瀬家が代々うけついで明治にいたりました。
明治四年(1871年)九代目成瀬正肥のとき廃藩置県で廃城となり、櫓や城門など天守閣を除く建物はほとんど取り壊されてしまいました。
明治二四年の濃尾震災で天守閣の東南角の付櫓など、ひどく壊れましたので、それを修理する条件で再び成瀬家所有の城となりました。
その後、伊勢湾台風などでも被害をうけましたが、昭和三六年(1961年)から四○年まで四年間をかけて解体修理をおこないました。望楼型の独立天守で、高さは二十四メートルです。
国宝に指定されている犬山城、松本城、彦根城、姫路城、松江城のなかでも、最も古い城であります。
平成十六年四月、財団法人 犬山城白帝文庫が設立され、城の所有は個人から財団法人になりました。」 と、書かれていました。
天守への入り口前で下から見上げた天守閣になります。石垣より上の1階の腰壁は、いい按配の炭色が付いた鎧壁になっています。唐破風の屋根下は破風の間と呼ばれています。天守の南東に突き出た部分は付け櫓になります。
天守閣前の東側には「大杉様」と呼ばれる神木がありました。この杉、元は犬山城よりやや背が高かったんですが、伊勢湾台風の落雷で枯れてしまいました。それ以降、地元の住民は杉の木が犬山城の身代わりになってくれたとして、神木として祀られています。
犬山城の内部は、現存する木造建築そのままの状態を見られるのですが、今回は暗くて一枚もいい
写真がなかったので割愛します(^^;) 代わりにお城から外部の景色をお楽しみ下さい(^^)/

1階の付櫓から
撮った外壁の状態です。鎧壁と白壁のコントラストがとてもいいです!

天守最上階にある「高欄の間」からの本丸を含んだ眺望です。右の手前の建物は売店、その後ろが復元された隅櫓(現在は永勝庵と言う茶室)、真ん中が先程入ってきました鉄門、左の建物がトイレです。
赤い矢印の所に金華山と岐阜城があります(^^)/
国宝天守内部は綺麗に保存されていて、いい見学体験をさせていただきました。
本丸に降りて、先程の最上階から見た隅櫓(永勝庵)です。入口には「小銃櫓跡」とあり、本丸の南端にあたり、守備上重要な櫓であった。と書かれていました。
さすが国宝だけあって、美しいお城でした。
犬山城を観て、これで犬山七福めぐりは終了です。
各礼所では御朱印以外に、「ご利益めぐり」として別ページにご利益朱印もいただいてます。
7ヶ所の御朱印を全て集めると、最後の礼所で満願印をいただけます。ホントは最後のページの空きスペースに押してもらえる予定でしたが、表紙に押されました…(^^;)
場所:犬山七福めぐり地図



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