2019
03/31
日
円光寺に続いては、北に上り三重県鈴鹿市にある『加佐登神社』(かさどじんじゃ)に行きました(^^)/ まずは山の下にある、南側の入口から中に入ります。社殿は山の上にありますので、ここから参道は石段が続いていきます。
社号標の石柱には「加佐登神社」と刻まれています。
社号標の前にあるノボリには
「神様が つなぐ人の輪 こころの和」と、いい標語が書かれていました(´ー`)ノ
第一鳥居は石製です。参道脇に灯籠がズラーーーーっと続きます!
県指定文化財の「白鳥塚古墳」の案内がありました。
「この古墳は古くから日本武尊(やまとたけるのみこと)の墓と伝えられ、尊が死後に白鳥となって飛び立ったと言う伝説にちなみ白鳥塚と呼ばれています。」
加佐登神社は 日本武尊の能褒野(のぼの)陵墓と伝えられた白鳥塚古墳の横に鎮座し、尊が死の間際まで持っていたと言われる笠と杖をご神体として祀られています。
参道途中、たくさんの鳥居をくぐり石段を上ります。
山の中の参道ですが、とても綺麗に整備されています。
長い参道石段を上がり、ようやく境内に着きました。境内最初の鳥居は、100年以上前の大正三年建立です。石製の扁額には加佐登神社と刻まれています。
境内右手に手水舎があります。水盤は天然の石を削って作られた立派なものでした。
身を清めて奥に進みます。
境内の第二鳥居は初めて木製のものがありました。境内参道の真ん中には御百度石があります。この山の上にある神社では、百度参りは骨が折れそうです…(^^;)
第二鳥居をくぐった所に、案内図がありました。境内には白鳥塚古墳群が七基あるそうですが、案内図では4ヶ所しか確認できませんでした。。。
加佐登神社由来記がありました。
「古事記・日本書紀によると、日本武尊は第十二代景行天皇の皇子でした。生れつき武勇にすぐれた尊は若くして九州の熊襲、出雲を平定し、つづいて東国の蝦夷征討へと旅立ちます。尊は、各地で戦い勝利を続けましたが、伊吹山の戦いで傷つき病におかされ動かぬ身体を引きずってこの能褒野に辿りつき、遙かに大和を望んで短い生涯を終えたと伝えられています。
大和は国のまほろば たたなずく青垣 山こもれる大和しうるわし
本殿北の白鳥塚は、県下最大の円墳(平成17年の調査で帆立貝式前方後円墳とわかった)で、古くから日本武尊の御陵とされた本居宣長・平田篤胤らによって延喜の諸陵式の能褒野墓と考えられました。
この白鳥塚のそばに、尊が死の間際まで持っておられた笠と杖を御神体としてお祭りしたのが、加佐登神社の始まりです。明治以前は御笠殿社と称され、諸病平癒の霊験あらたかで、人々の篤い信仰を受けてきました。
大祭は、日本武尊の命日と伝わる、四月八日。
古代、この地は景行天皇が行在所を置かれたことから、高官の里とも呼ばれ、附近には綺宮跡や、奉冠塚・奉装塚など多くの古い塚が残っており、神苑は県下有数のつつじの名所として知られています。」
社殿の東側には、末社の稲荷神社がありました。
青銅製屋根に向拝付きの拝殿です。
拝殿前には「加佐登神社」と金文字で書かれた扁額がありました。外陣には「日本武尊」と書かれた額が伺えます。 ここでお詣りをさせていただきました<(_ _)>
参拝後に社務所へ行き、御朱印を書いていただきました~!
社務所前のベンチからの
1枚です。

御朱印
場所:加佐登神社



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