2019
03/23
土
南側道路に面して山門があります。山門の前には2つの石碑があり、右に「国宝阿弥陀如来」、左に「国宝愛染明王」と刻まれていました。一番左には社号標の石碑に「真言宗豊山派 勝軍山 舎那院」とあります。山号は勝軍山、院号が舎那院で真言宗豊山派の寺院となります。
切妻屋根の瓦葺き、ごく一般的な山門です。山門から参道石畳が真っ直ぐ通っています。
境内に入り、参道右手に「聖徳太子堂」がありました。
左側には「鐘楼堂」があります。宝暦五年に大工頭村居九兵衛により建立されたもので袴腰式です。
太子堂の次にあるのは、方形造りで宝頂を持つ「観音堂」です。観音堂は昭和十七年の復興前の本堂だったようです。入口の石碑にありました、国の重要文化財である「木造阿弥陀如来坐像」はここに安置されています。
境内には池のある回遊式の庭園があり、紅葉がとても美しかったです。この舎那院は「芙蓉」で有名ですので、夏はまた違った景色が堪能できると思います。
舎那院の文化財一覧がのっている看板がありました。国の重要文化財からあり、数多くの文化財が収蔵されているようです。
山門からの正面に鎮座していました「本堂」です。現存するこの建物は文化七年(1810年)の建造です。落慶まで57年を費やして建てられたそうです(^^;)何故??
七間四面共総欅造りで、屋根は入母屋造りの本瓦葺きで向拝付きとなっています。
御本尊は重要文化財である「愛染明王」と「阿弥陀如来」となります。
「勝軍山 新放生寺 舎那院」の略縁起です。
「舎那院は弘仁五年(814年)弘法大師の開基と伝えられ、源義家が前九年の役(1051年)において、陸奥国阿倍宗任・貞任征討祈願により凱旋の功ありとして、延久元年(1069年)後三条天皇より勝軍山の勅号を賜わり、勅願の神宮寺として勝軍山新放生寺八幡宮を御建立、社坊三百あまりを数え、天文五年(1536年)には後奈良院より車輌三千石を賜わる。しかし、元亀・天正の兵火にかかり、天正十九年(1591年)秀吉が再興をはかり、七十坊となったが慶長・寛永には三十余坊、天和年間には二十一坊と次第に衰え、明治維新の廃仏毀釈(神佛分離)令により、学頭寺の舎那院(当時遮那院)を除く当時残存の六坊は廃寺となり、本尊愛染明王・阿弥陀如来を始め、一山の佛像・宝物等は舎那院に移された。その後荒廃の一途を辿っていたが、檀信徒一般有縁の浄財により、昭和十七年(1942年)現状の舎那院に整備されたものである。」
本堂入口上には、扁額に「勝軍山」と山号が書かれています。彫刻が立派な扉ですが、旧国会議事堂から移設されたもののようです。
本堂前にてお参りをさせていただきました<(_ _)>
本堂より西奥には檜皮葺の「護摩堂」がありました。室町後期の建造で、滋賀県指定の有形文化財となっています。檜皮が苔むして、廻りの紅葉と非常に良く調和しています。
境内東側にある庫裏です。
写真は庫裏の玄関になります。納経所の札も掛かっていました。

今回は住職はお見えになりませんでしたので、納経所にて300円を納めて書き置きをいただいてきました。
場所:舎那院



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