2019
03/21
木
参道途中に
車が入る入口があり、境内の中に
車を停めて、南西角にある参道入口に来ました。


右の道路側にある社号標には「長濱八幡宮」と刻まれています。旧社格は県社で別表神社になります。
第一鳥居は石製で、扁額には「八幡宮」と書かれています。
参道両脇には松の木と石灯籠がずらりと並んでいます。
境内の西から摂社が並んでいます。まず境内の西端に「末広稲荷神社」がありました。
末広稲荷の右横には、「金刀比羅宮 河濯神社」(ことひらぐう かわそぎじんじゃ)があります。
続いて「天満宮」があります。ご祭神はもちろん菅原道真公になります。
天満宮の右横に社務所がありますが、その前(南側)には、「放生池」と「都久夫須麻神社」(つくぶすまじんじゃ)がありました。
放生池を過ぎると、参道横に「清々井戸」(せいせいいど)があります。入母屋の立派な屋根を持つ井戸は立入禁止となっていました。
境内の状況です。左奥の建物は社務所になります。真ん中にある松の木の後ろ当たりが、お守りやおみくじがいただける場所です。
檜皮葺屋根の豪華な手水舎です。身を清めてお詣りに進みます。
拝殿があるところで、参道を直角に左(北)へ曲がります。道路からの入口にもなっていて神橋もあります。右手には「八幡神社」と書かれて石碑もありました。
拝殿前には第二鳥居があります。ここの扁額も八幡宮と書かれていました。
参道横に長濱八幡宮の由緒が書かれた石板がありました。
↓この内容は長濱八幡宮のホームページより
「当宮は延久元年(1069)、源義家公が後三条天皇の勅願を受け、京都の石清水八幡宮より御分霊を迎えて鎮座された。それよりこの地は八幡の庄と称えられ庄内十一郷の産土(うぶすな)の神として深く崇敬される事となる。当時のその社頭は三千石、一山七十三坊と伝えられ、本宮(もとみや)の石清水八幡宮を凌ぐくらいであったという。しかし、その後、しばしば兵火にみまわれ、その社殿はほとんど焼失された。時は流れ、天正二年(1574)、羽柴秀吉公が長浜城主となるや、その大社の荒廃を惜しみ、社殿の修理造営をなし、再興に努めた。この史実は、長浜曳山祭の起源ともいえる。」
手水舎と同じ、檜皮葺の拝殿です。扉は全て閉められており、中を拝見することはできませんでしたが、三が日など時期によっては扉も開放され、参拝もできるようです。
拝殿の奥にありますのが、檜皮葺のご本殿になります。この社殿の奥の建物は、八幡宮としてはとても珍しくい神明造りとなっています。一説によれば伊勢神宮の御饌殿を譲り受けたと言い伝えられているようです。
主祭神は東御前に足仲彦尊(たらしなかつひこのみこと)仲哀天皇、中御前に誉田別尊(ほんだわけのみこと)応神天皇、西御前に息長足姫尊(おきながたらしひめのみこと)神功皇后となっています。本殿の前に3本の鈴緒がありますが、そう言うことなのかな??
長濱八幡宮は日本三大山車祭の「長浜曳山祭」で有名です。ニュースとかの映像でしか見たことがありませんが、一度見てみたいものです。また、タイトルにもありますが、長浜城主であった羽柴秀吉(豊臣秀吉)の加護を受けて再興をされ、庭園も秀吉が寄進したようです。
本殿前にてお詣りをさせていただきました<(_ _)>
本殿右横にありました、摂社の「高良神社」になります。
達筆な御朱印です。
場所:長濱八幡宮



よければポチッとお願いしま~す(^^)/

この記事と関連する記事
AFTER「[滋賀県] 長濱八幡宮の元神宮寺で古刹 舎那院」
BEFORE「[三重県] 猿にまつわる伝説がある 狛猿の鳴谷神社」
COMMENT