2019
03/19
火
聖宝寺のお参り後は先程上った山の石段を降り、麓にある『鳴谷神社』(なるたにじんじゃ)に行きました(^^)/ まずは境内入口です、聖宝寺はこの鳥居の右側を上っていきます。
左側にある社号標には「村社 鳴谷神社」と刻まれています。
石製の第一鳥居からのぞく境内は、杉の巨木が立ち並び、緑で溢れています!
第一鳥居の左側には、市指定の天然記念物である「親子杉」がありました。
親子杉の横には、鳴谷会館と書かれた札がある社務所がありました。
本日はお留守のようでした…(^^;)
境内中央ほどにある神橋には鳴谷橋と書かれています。
橋の左手の小さい手水で身を清めて進みます。
こちらも石製の第二鳥居です。なんとなく厳かさが増してきました(^^)/
第二鳥居を過ぎると、狛犬ならぬ「狛猿」がいました。右側は子猿を抱いた狛猿のようです。
この狛猿には、平安時代に伝教大師が聖宝寺に観音堂を開いた際、この山に棲む猿が建立を手伝ったという伝説が残っています。詳しくは 聖宝寺のホームページ で確認を(^^)/
実は「狛猿」は初めてではありません! ボクが伺った場所では、清須市にある「日吉神社」も狛猿がありました。日吉神社は猿を崇敬しているお申(さる)神社になります。こちらも是非見ていってください(^^)/
年季のあった狛猿を過ぎると、真新しい狛猿が出迎えてくれました♪
正面の建物は鋼板葺きの拝殿です。
拝殿右手にあるのは「神楽殿」だと思います。。。(^^;)
拝殿の全景です。屋根の形は千木に鰹木があり、神明造りと同じように見えます。主祭神は山の神である大山咋命(おほやまくいのかみ)が祀られています。その他多くの神様が合祀されています。
鳴谷神社の縁起は
「伝教大師(最澄)が唐から帰国し、天台宗の大本山延暦寺を建立するに当たり、母が日枝の神を崇め祈願したら自分が生まれたと言うことからして延暦寺の守護神として、日枝の神を上社・中社・下社各七社計二十一社の祠を建て斎奉ったもので、当時は山王権現と申し上げ、後に日枝大社と申し上げるようになったと言われています。大師が人皇第五十一代平城天皇の大同年間、布教の為に藤原ケ嶽中腹の小高い場所に聖寶寺を建立するに当たり、当時は山中の寒村であった此の郷を坂本と名付け、その山裾に二十一社の小宇を建て守護神としてお祀りしましたのが始めであります。村の人は山王さんと称していましたが、下って元亀元年(1570年)伊勢長島一揆が起こるや、織田信長はその臣滝川一益をしてこれを鎮圧せしめました。一益は余勢を駆って北勢員弁地方の神社仏閣をことごとく焼き払い、当社も聖寶寺もその難を免れることができませんでした。時は移り万治二年(1659年)、聖寶寺が臨済宗妙心寺派の僧により再建され、天台宗から臨済宗と改宗になったとき、山王社は坂本・大貝戸両村民により、村の氏神として現在地に祀られ崇められて今日に至ったものと言われています。社殿は万治三年(1660年)に改築、文化三年(1806年)に再改築との記録があります。直近の記録としては昭和八年(1933年)改築され現在に至っています。社名の鴨谷神社については、明治以前は日吉山王社と申し上げていましたが、明治以後は境内を流れる鳴谷川に因んで鳴谷神社と改称され、明治三十九年(1906年)十二月、三重県告示第三〇八号により神饌幣帛共進社に指定、村社と制定されました。」
拝殿の鈴緒の上には「鳴谷神社」と書かれた豪華な扁額が掛かっています。賽銭の前にてお詣りをさせていただきました<(_ _)>
拝殿奥にはもちろん本殿(神殿)がありますが、その手前にある2本の御神木とも言える巨木は、右が「比古杉」(ひこすぎ)、左は「比賣杉」(ひますぎ)と書かれていました。2本共、市の指定天然記念物です。
狛猿と拝殿と神楽殿です。
本日は神職にお目にかかることができず、電話にて確認したところ、わざわざ御朱印を送って下さると言うことで、見開きとなる立派な御朱印をいただきました~(≧∇≦)ノ 感謝です!
場所:鳴谷神社



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