2019
03/07
木
新薬師寺に続いては、同じ高畑町にある『不空院』(ふくういん)に行きました(^^)/
不空院は新薬師寺から100mも戻らない所にあり、飛び入りで伺いました(^^;)
細い路地にある大きな山門は、正面からは
撮影できず、ちょっと斜めからとなりました。脚柱には「南都春日山 不空院」と書かれた表札が掛かっています。

山門の北側には「春日山 不空院」と刻まれた寺号標がありました。山号は春日山(しゅんにちさん)、真言律宗の寺院になります。別称で福井之大師と言われます。
山門から中に入ると、正面に本堂があります。ご本尊は不空羂索観音となります。木造寄木造りの「木造不空羂索観音坐像」は国の重要文化財です。
本堂手前には「縁きりさん」「縁結びさん」と呼ばれる2つの祠があります。「かけこみ寺」として知られてきた歴史があり、「縁切り」「縁結び」にご利益のある神様をお祀りしています。
本堂へ行く石畳の脇に「西国三十三ヶ所観音霊場 お砂踏み」がありました。
お砂踏み場の横は、雰囲気のある良い感じの日本庭園になっていました。
本堂の横には小さい霊廟(納骨堂)の「安穏廟」(あんのんびょう)がありました。
弘法大師像の前に手水がありましたので、身を清めます。
本堂正面全景です。入母屋造りの本瓦葺きでまだ新しい本堂になります。不空院は大和北部八十八ヶ所霊場の第七十七番礼所となっています。
不空院の縁起は
「「大乗院寺社雑事記」などの歴史文献には、奈良時代(753年・天平勝宝5年)中国より渡来された鑑真和上が、ここ不空院に住まわれたとの記述があります。
また平安前期(810-824 弘仁年間)には、弘法大師(空海)が興福寺・南円堂建立の試みとして、鑑真住房跡であるこの地に雛形の八角円堂の建立を提案して願文を書いたと伝わります。これが不空院の始まりといわれておりますが、定かではありません。戦乱で寺は衰退、八角円堂以下ほとんどの堂宇も安政の大地震(1854年・嘉永7年)によって倒壊しました。再興を遂げたのは大正時代のことです。橿原の久米寺より三谷弘厳和尚が当地に入られ、倒壊した八角円堂礎石の真上に現在の本堂を建立し寺域が整えられました。」
本堂前です。本堂は春・秋の特別拝観期間以外は、事前に連絡しなければ拝観できないようで、今回は飛び入りでしたので諦めました(^^;)
鈴緒の鐘を鳴らし、外陣にてお参りさせていただきました<(_ _)>
境内北側には、山門際に「羂索庵」と言う休憩所かな?(^^;) その奥には護摩道場の入口がありました。
護摩道場がある建物が続きで、本堂の左手(北側)に庫裡がありました。玄関より更に奥に納経所がありましたので、御朱印を書いていただきました(^^)/
種類がたくさんありましたが、今回は2種類いただきました。
ご本尊の不空羂索観音
不空羂索観音が朱印となっているもの
場所:不空院



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