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大人の事情 ~御朱印ライフ~

付き合いで始めた寺社(御朱印)巡り、今じゃ週末のライフワークになりました~♪

2019 02/21

元東大寺の宝物庫 正倉院~東大寺末寺の五劫院


氷室神社の次は、東大寺参道を抜けて北へ向かいます。ちょうどおやつの時間(15時)になったので、土産物屋さんでイチゴ大福をいただきました(^^;)

東大寺参道 



道中、東大寺ミュージアムの前にあった、大仏様の手の実物大レプリカの大きさに驚きながら、大仏殿を横目に更に北へ進みます。

東大寺ミュージアム 



東大寺大仏殿を後ろにして『正倉院』(しょうそういん)に着きました(^^)/

正倉院 全景 



小学校で習った「校倉造り」の正倉院です。正倉院正倉として1997年(平成9年)国宝に指定されています。もっと近くで見たかったのですが、立入禁止なので遠目にじっくり見物しました。

正倉院 前 



正倉院の説明板より

正倉院 説明 

「正倉はもとの東大寺の正倉で、奈良時代以来宝物を収蔵してきた宝庫です。檜造り、単層、寄棟本瓦葺きで高床式に造られています。間口約33m、奥行約9.4m、床下約2.7m、総高約14mの大きさを持ち、床下には直径約60cmの丸柱が自然石の礎石の上にどっしり立ち並んで、巨大な本屋を支えています。
 宝庫の建築年次については、そのことを直接記録した資料がないので明確に出来ません。しかし、種々の資料から考えて、遅くとも天平宝字三年(759)三月以前に出来上がっていたことは確実とされています。
 内部は三室に仕切られ、北(正面向かって右)から順に北倉、中倉、南倉と呼ばれています。北倉と南倉は大きな三角材を井桁に組み上げた校倉造りであり、中倉は北倉の南壁と南倉の北壁を利用して南北の壁とし、東西両面は厚い板をはめて壁とした板倉造りです。また各倉とも東側の中央に入り口があり内部は二階造りとなっています。」

写真は瓦の修繕状況時の記録みたいです。



続いては、更に北へ歩いた住宅街の中にある『五劫院』(ごこういん)に行きました(^^)/
シャチホコまで付いた風格のある山門です。山門右手前には「思惟山 五劫院」と書かれた寺号標が建てられていました。

五劫院 山門 



山号は思惟山(しゅいさん)、寺号は不明で、院号が五劫院です。華厳宗末寺の寺院になります。

五劫院 寺号標 



山門入って右手(東側)に鐘楼、その手前に観音様が祀られていました。

五劫院 鐘楼 



鐘楼の左には「地蔵堂」です。本堂のそばには別の「見返り地蔵」と呼ばれるお地蔵様も祀られていたようです。

五劫院 地蔵堂 



境内の西側には、六角形の建物の「納骨堂」がありました。

五劫院 納骨堂 



山門入った正面に本堂があります。ご本尊は重文の「五劫思惟阿弥陀仏坐像」になります。

五劫院 本堂 

五劫院の縁起は

「五劫院は隣接する東大寺の末寺であり、鎌倉時代の東大寺を再興した「重源上人」が開基したお寺です。宋から請来した「五劫思惟阿弥陀仏」を祀るためのお堂を建立したのが始まりと伝えられています。五劫院には、重源上人や公慶上人など、東大寺の再興に尽力した方々の墓所もあり、東大寺の菩提所的な性格もあったそうです。
 現在の五劫院本堂は、江戸時代の初期寛永元年(1624)に再建されたもです。」



時間が遅くご本尊は拝観することはできませんでしたが、見た人の感想では「アフロ仏」と。。。  写真で拝見しましたら(*^_^*)なんと! 

五劫院 本尊 

↑↑長~くのびた螺髪(らほつ)がアフロに見えると言うことでした!(絵はがきより)



本堂前です。賽銭箱はありませんでしたが、向拝でお参りをさせていただきました<(_ _)>

五劫院 本堂前 



右が玄関と左が庫裏です。お声掛けさせていただき、御朱印を書いていただきました(^^)/

五劫院 庫裏、玄関 


御朱印
五劫院 


場所:五劫院



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