2019
02/17
日
手向山八幡宮の参拝が終わり、これで大仏殿より東側エリアの巡拝が済みました。続いては大仏殿の西側エリアへ向かいます。大仏殿西側のスロープを下に
降ります。

スロープ下の右手に『指図堂』(さしずどう)がありました。指図堂は法然上人二十五霊場になっているお堂です。大仏殿再建の設計図(指図と言うみたい)が収められているので指図堂と呼ばれるようです。ここに下記の御朱印があるということで、寄ったんですが。。。当日はお留守みたいでいただくことができませんでした( ゚Д゚)ガーン
どうやら、土日しか開けられていないみたいです(-∀-)
「円光大師」と書かれた霊場の御朱印がいただけるようです。
諦めて、次に向かった場所は『戒壇堂』(かいだんどう)です。いただいたパンフレットには「東大寺戒壇院戒壇堂」と書かれていますが、今回は「戒壇堂」で通していきます。
指図堂が参拝できずがっかりして来ましたら、こちらは山門が改修中でした(^^;)
確か社寺建設に実績のある、天下のスーパーゼネコン清水建設様がやってましたねぇ(^^)/
足場がないとこんな感じ。。。
山門の門柱に「東大寺戒壇堂」と書かれた札が掛かっています。山門から境内参道を真っ直ぐ突き当たりが戒壇堂(本堂)になります。左手に拝観受付がありますので600円払って中に入ります。
受付で御朱印帳を預かってもらって、拝観中に書いていただきます。
境内は、塀に囲まれた中を、波の砂紋を描いたシンプルですが綺麗な庭でした。
県指定重要文化財の戒壇堂です。四月堂と同じ、裳階(もこし)付きの本瓦葺きになります。創建は鑑真により755年(天平勝宝7歳)建立ですが、江戸時代に3度消失し再建されております。
戒壇堂の「戒壇」とは、仏教用語で、戒律を授ける(授戒)ための場所を指します。戒壇は戒律を受けるための結界が常に整った場所であり、授戒を受けることで出家者が正式な僧尼として認められることになります。
戒壇堂西面を下から見上げています。
戒壇堂拝観入口です。お参りは中でさせていただきました<(_ _)>
戒壇堂の縁起は東大寺ホームページより
「754年(天平勝宝6)、聖武上皇は光明皇太后らとともに唐から渡来した鑑真(がんじん)から戒を授かり、翌年、日本初の正式な授戒の場として戒壇院を建立した。
戒壇堂・講堂・僧坊・廻廊などを備えていたが、江戸時代までに3度火災で焼失、戒壇堂と千手堂だけが復興された。」
中は
撮影禁止でしたので、パンフレットをスキャンしました(^^)/

国宝の四天王像(塑像)です。塑像とは粘土造りのことを言います。創建当時は銅製造りの像だったようです。それでも現在の四天王像は奈良時代の造立なので国宝に指定されています。
配置は多宝塔を中心に左回りで南西に「増長天」、北西に「広目天」、北東に「多聞天」、南東に「持国天」が配置されていました。法華堂内の四天王像(国宝)も素晴らしかったですが、こちらもホントに素晴らしかったです(^^)/
山門の内にある拝観受付にて御朱印をいただきました。
今回でようやく「世界遺産 東大寺」の報告は終了です。引き続き奈良観光(って言っても寺社巡りのみ)の情報を順番にお伝えしていきます(^^)/
国宝の四天王と書かれた御朱印
場所:東大寺戒壇堂



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