2019
01/28
月
瑞泉寺を後にして、次に訪れたのは『龍済寺』(りょうさいじ)です(^^)/
「犬山七福めぐり」最後の参拝地となりました。また近いうちに「犬山七福めぐり」のまとめブログを投稿させていただきます(´ー`)ノ
瑞泉寺からは北へ
歩いて5分くらいで山門のある入口に到着です。

寺号標の石柱には「本尊 十一面観世音菩薩 龍済庵」と刻まれています。創建当初は龍済庵と称していたそうです。
山門に掛かっている札には「臨済宗妙心寺派 青龍山 龍済寺」と書かれています。山号は青龍山、寺号が龍済寺で、「青龍山龍済寺」が正式名称になります。瑞泉寺塔頭の一つ(他に五寺あり)で、臨済宗妙心寺派の寺院です。扁額は達筆なので、なんとなくですが「龍済庵」と書かれていると思います。
山門をくぐって、正面の建物側を1枚
パシャ! 右に玄関、左が本堂になります。後ろの山の中腹には、犬山善光寺もあります。

境内の参道は石畳が敷かれ、本堂正面へ案内してくれます。境内は庭園として綺麗に整備されています。
今はあまり使われていないだろう入母屋造りの玄関は、右に庫裡、左は本堂に続きます。
本堂を斜めから見ています。小さい鐘楼が縁側の柱に掲げられています。本堂前には「三玄松」と書かれた石碑がある松の木が、趣を添えています。左の奥にある建物は隣にある「龍泉院」の本堂です。こちらも瑞泉寺の塔頭になります。
本堂正面です。境内が小さいので本堂全景は入りませんでした(^^;) 境内参道が中心にあり、両脇を灯籠が飾ります。樋の水受けや、屋根降り棟鬼瓦に菊菱が含まれた寺門がありました。ご本尊は十一面観世音菩薩になります。
龍済寺の縁起は
「龍済寺は文安三年(1446年)約560年前の室町時代に雲谷玄祥禅師によって建立されました。戦国時代(永禄八年)には織田信長の犬山城攻略の折、兵火にあい瑞泉寺一山、二十数ヶ寺と共に焼失しましたが、その後九年経った天正元年再興されました。現在の本堂並びに諸堂は昭和五十八年に再建されたものであります。本尊十一面観世音菩薩は江戸時代の万治四年(1661年)に玉渕和尚が恩田彦右ェ門の寄進を受け、泰安されたと伝えられています。」
と、「犬山七福めぐり御朱印帳」に書かれていました。
本堂入口前です。向拝はないので、外陣の賽銭箱の所でお参りをさせていただきました<(_ _)>
見えにくいですが、扁額には山門と同じ「龍済庵」と旧名で書かれていました。
賽銭箱横には納経所がありましたので、志納金を入れ「犬山七福めぐり」用は自分で押印し、御朱印は書き置きのものを頂いてきました。
御朱印です。和紙が色付きでおしゃれです。
場所:龍済寺


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