2019
01/20
日
外宮の参拝を終え、次の参拝場所はもちろん『内宮 皇大神宮』(ないくう こうたいじんぐう)に行きました(^^)/ 本当は
歩いて内宮まで行きたかったんですが、時間の関係と、今にも
雨が降りそうな天気でしたので、贅沢に
タクシーで行っちゃいました(^^;)



内宮入り口前で降ろしていただいたので、目の前は五十鈴川に架かる「宇治橋」(うじばし)です。この鳥居をくぐると神域になります。
「皇大神宮(内宮)」の縁起が書かれていました。
「御祭神 天照大御神
御鎮座 垂仁天皇二十六年
天照大御神は皇室の御祖神であり 歴代天皇が厚くご崇敬になられています また私たちの総氏神でもあります。
約二千年前の崇神天皇の御代に皇居をお出になり 各地をめぐられたのち この五十鈴川のほとりにお鎮まりになりました
二十年に一度神殿をお建て替えする式年遷宮は千三百年余り続けられ 平成二十五年十月二日に第六十二回式年遷宮が行われました」
外宮の火除橋は左側通行でしたが、宇治橋は右側通行です。ルートが交差しないようにこうなっているみたいです(^^)/ ご覧のように外宮の3倍以上の人出です。。。
宇治橋を渡りきった所にも二つ目の鳥居がありました。(写真ブレてすいません)
鳥居をくぐり右に曲がって参道を進みます。参道以外は高木の緑で覆われ神聖さが感じられます。
長い参道を進んで、ようやく小さな橋(内宮火除橋)の手前に「皇大神宮(内宮)宮域図」がありました。ここで各場所へのだいたいの位置を確認します。
火除橋を渡ると、この先お手洗いがない!と案内してくれていますので、用を足しましょう(^^)/
火除橋を渡った右手に、大きな手水舎がありました。身を清めて正宮へ向かいます。
参道に戻り三つ目の鳥居がありましたが、これが「一の鳥居」となるようです。ここから玉砂利を一歩一歩踏みしめ、心を清らかにしていきます。
「内宮神楽殿」手前にもう一つ木製の「二の鳥居」がありました。この鳥居をくぐると広い場所に出ますが、更にグンと人が増えます(^^;)
神楽殿にある「授与所」です。左の方に御朱印と書いてあるところで御朱印をいただけます。
授与所から先には銅板葺きの入母屋造りで御饌殿(みけでん)、神楽殿の順に建物が建っています。
神楽殿の壁に「神宮の由緒」が掲げられていました。
「日本人の心のふるさと「お伊勢さん」の名で親しまれている神宮は、皇大神宮(内宮)豊受大神宮(外宮)を中心に十四所の別宮と百九所の摂社・末社・所管社からなりたっています。
ここ、内宮のご祭神である天照大御神は、皇室のご祖神であると同時に、私たち日本人の大御親神と親しまれ、あらゆる生命を育む最も尊い神様として崇められています。
年間千数百回に及ぶ祭典では、皇室の繁栄と国の隆昌、五穀の豊穣と国民の幸せを願って、祈りが捧げられています。」
右に行くと正宮へ。左へ行くと、別宮の「荒祭宮」と書かれています。この辺までくると、参道の真ん中にも堂々と杉の巨木があります。
「正宮 皇大神宮」前です。石段を上がった鳥居手前からお詣りする人で並んでいました(^^;)
鳥居の内側は
撮影禁止になります。鳥居の向こうにある茅葺き屋根は、外宮と同名の「外玉垣南御門」です。ここも外宮と同じで、神様をお祀りしている場所ではありませんが、御門前でお詣りをします。

参拝を終え、帰り道の石段を降りて細い参道に入ると、幹廻りが異常に太い杉の巨木が参道の半分を通せんぼしてました! 皆が触っていくのでテカりが凄かったです(^^)/
内宮の所管社のひとつ「御稲御倉」(みしねのみくら)です。神宮神田で収穫した御稲が奉納され、三節祭でお供えされます。
唯一神明造りで高床式の「外弊殿」(げへいでん)です。「古神宝類」(こしんぽうるい)が納められているそうです。
別宮の「荒祭宮」(あらまつりのみや)です。内宮に所属する十別宮のうち、第一に位しています。殿舎の規模も他の別宮よりも大きく、正宮に次ぐ大きさです。ご祭神は、天照大御神の荒御魂(あらみたま)となります。
帰りの参道途中にあった「参集殿」で休憩し、宇治橋を渡る手前にありました、内宮所管社の「大山祇神社」と「子安神社」をお詣りして内宮を後にしました。
授与所でいただいた御朱印です。
場所:伊勢神宮(内宮 皇大神宮)


よければポチッとお願いします<(_ _)>

この記事と関連する記事
AFTER「八角形に秘められたパワーが宿る 猿田彦神社」
BEFORE「日本のパワースポット伊勢神宮① 外宮 豊受大神宮」
COMMENT