2019
01/14
月
今回は以前伺った岐阜県山県市にある『東光寺』(とうこうじ)から行きました(^^)/
表題にもありますように、美濃新四国八十八ヶ所霊場の巡拝になります。
前回ブログ「美濃三十三観音霊場の東光寺」はこちらから
前回は土砂降りの中での巡拝となりましたので、あまりいい
写真が撮れませんでしたが、今回はかなりいい
写真が撮れました。同じアングルがたくさんありますが、ご容赦下さい(^^;)


まずは、前面道路反対側からの参道入口です。
寺号標には「富士山 東光禅寺」と正式名称が刻まれています。臨済宗妙心寺派の寺院です。
左の石碑には、二つの霊場名と礼所番号が刻まれています。今回の目的である美濃新四国八十八ヶ所霊場は第六十四番礼所となっております。
参道は生活道路となっていますので、アスファルト舗装となっています。参道中程に
駐車場もありますので仕方ないですかねぇ~。

参道途中の駐車場前に「隠寮」と書かれた札が掲げられている門がありました。【隠寮=師家または長老の居所】とあるので、ご住職が住まわれている所でしょうか?
参道右にある豪華な築地塀は隠寮の塀です。この辺りまで来ると参道も石畳になっていました。突き当たりを右に曲がると東光寺の山門があります。
参道突き当たりにあった手書きの由緒書きです。
「山号 富士山 宗派 臨済宗妙心寺派
本尊 聖観世音菩薩 秘仏 薬師如来
開山 勅謚大道真源禅師 創建 希雲楚見和尚 開基 華翁頼舜
建立 室町時代文亀元年(1501年) 歴世 第二十六世
明應年中一宇を草創し爾来 歴代住職 檀信徒の護持と護法の念厚く今日に至る
その間 東陽派下の古道場として幾多の禅匠を輩出せり 明治廿四年濃尾大震災により堂塔の多くを失うも漸次往古の景観に復せり」
と書かれていました。
山門の外も名刹にふさわしく綺麗に整備されています。
山門の扁額は龍の彫刻があしらわれた豪華な扁額となっており、山号の富士山と書かれています。
境内の参道は石畳が敷かれ、分かれ道の右に行くと庫裡、左が本堂側へ行きます。境内全体が緑溢れる庭園になっており、かなり手入れがされています。
弁天池の弁天堂です。弁財天が祀られています。
青空と山の緑に映える大庫裡です。境内の配置された庭木も考えられて素晴らしいです。
手水の水瓶がありましたので、身を清めます。右横には珍しい古井戸がありました。
庫裡の左側には玄関がありました。唐破風屋根は銅葺きとなっています。
玄関と本堂です。境内参道脇の灌木が色着いています。バックの山が色着くともっと映えそうです。
美しい曲線を纏った檜皮葺き屋根の、横にか・な・り長い本堂です。本堂前は燈籠以外はシンプルに砂利が敷き詰められているのみです。
反対側を見るとこんな感じ!広い砂利敷きの庭の中に、高木・低木を上手に織り交ぜた庭です。
本堂前入口です。外の扁額には「富士山」と書かれ、中の外陣は「方丈」と書かれています。ご本尊の聖観世音菩薩は内陣中央に祀られています。今回の目的である美濃新四国の弘法大師様は左側に祀られていました。
中でお参りさせていただきました。ちょうどご住職とお話ができ、庭も見せていただき写真を撮らせていただきました。中庭は紅葉が進んでおり、ドウダンツツジのコントラストが美しく仕上がっていました。
「瑠璃光」と書かれた扁額がある薬師堂は本堂の西側にあります。由緒書きにあった秘仏の薬師如来像はここに祀られているようです。
本堂前の広い境内を更に南へ階段を上った所にあるのが「経堂」です。輪蔵形式の経蔵で、宝暦年間(1751~1764年)の建立と250年を超える建物なので、近々文化財の指定がありそうですねぇ(^^)/
扁額は「毘盧蔵」(びるぞう)と書かれています。
経堂の東には、樹木に隠れてひっそりと鐘楼がありました。
境内から見た山門です。ここから見ても庭園の立派さが伺えます。
先程方丈内を案内された時に、住職から納経印と袋一杯の柿を頂きました(^^)/
納経印は今回で87ヶ所目の拝受となりました。あと1ヶ所です!
場所:東光寺


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