2019
01/04
金
今回は美濃西国三十三観音の巡拝で、岐阜県美濃市にあります『鹿苑寺』(ろくおんじ)から廻りました(^^)/
まずは入口前です。細い路地が参道になっていて、小さい寺号標がありました。
車は境内がある山の中腹に駐車場がありましたので、そこに停めて
歩いて坂を下りて入口前まで来ました。


「臨済宗 鹿苑禅寺」と寺号標には刻まれています。山号は廬山(ろざん)、寺号は鹿苑寺です。京都の金閣寺(鹿苑寺)とはたぶん何も関係ありません(^^;) 臨済宗妙心寺派の寺院になります。
周りに民家もチラホラ有り、細い農道のような参道です。山の中腹(参道の一番奥)に境内はあります。
参道の突き当たりが石垣で右へクランクして境内に入ります。重要文化財の看板が目立ちます。
参道正面に伺える建物は玄関になります。右は庫裡だと思います。
右が先程の玄関、奥の大きい建物が本堂になります。両方とも再建されたばかりでしょうか?木の色がまだまだ綺麗です。開山は1685年(貞享2年)清泰寺六世 密巌禅師とあります。
本堂の奥にあるのは観音堂になります。ここに秘仏であります、本尊の聖観世音菩薩立像(県指定重要文化財)が祀られています。今年は16年ぶりの御開帳で3月に10日間ほど公開されたみたいです。
観音堂向拝です。中はもちろん見ることができませんでした(^^;)
「約800年前に建立された廬山大悲院は江戸時代末期には荒廃がいちじるしく廃寺となり、また、山上にあったため、参詣にも管理にも不便として大正5年に鹿苑寺境内へ移築されました。これが現在の鹿苑寺観音堂です。」 美濃市の寺院巡拝ご案内より
観音堂横には重要文化財看板(聖観世音菩薩)の他に美濃市指定文化財である「四天王像、韋駄天像、三具足、殿鐘」の記載がありました。
本堂の全景です。今回の目的でした美濃西国三十三観音霊場の第二番礼所となっています。
鹿苑寺の縁起は
「かつては天台寺院であり、廬山大悲院と号す。安元元年(1175)に創建され、開山は覚阿上人である。山号は覚阿上人が修行された中国の廬山霊隠寺という名刹に由来し、霊隠寺の恵遠大師を勧請始祖とされた。残念ながら其の後の事跡五百年間は不明である。寛永四年(1628)に清泰寺第四世の梁屋和尚が荒れ果てた堂宇を改め、その約五十年後の貞享二年(1687)に梁屋和尚の弟子蜜厳和尚が禅道場を発願し、元禄元年(1688)に現在の大悲院が創建された。寛保二年(1742)に鹿苑寺と改号された。」
美濃西国三十三観音霊場HPより
本堂向拝には、山号の「廬山」と書かれた扁額が掲げられています。
本堂内にてお参りをさせていただきました<(_ _)>
本堂内の天井絵です。龍の天井絵は、以前羽島市で伺った「本覚寺」さんの雲龍によく似ているなぁと思い、見返してみましたら、やっぱりちょっと似ていました(^^;)
今回は行けなかったんですが、鹿園寺さんにはちょっと離れた場所に、国の重要文化財である「六角堂」と言う地蔵堂があります。円空作の天部像が収められていましたが、数年前に盗難にあったニュースが記憶に新しいです。
画像の「六角堂」はWikipediaよりお借りしました。
納経印
場所:鹿苑寺(美濃市)


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