2018
12/25
火
清洲城を後にして、次に歩いて向かったのは『日吉神社』(ひよしじんじゃ)となりました~(^^)/ 南へ10分程
歩き、ちょっとわかりづらい住宅街の中にある入口にたどり着きました。

真ん中に石製の鳥居と、右には社号標に「日吉神社」と刻まれた石柱がありました。
日吉神社の由緒がありました。
「宝亀二年(771年)当地疫病流行のおり、素戔嗚尊・大己貴命二神を祀り止むと云う
織田氏清洲在城時は城下総鎮守と崇敬し、天正八年近江坂本より山王二十一社を勧請した。
織田、豊臣、徳川各氏の奉納事蹟多数有り。
日吉丸(豊臣秀吉幼名)は母が当神社に祈願し授けられたと伝える。」
と書かれていました。
高さ5mほどある「大燈籠」です。明治15年に枇杷島の美濃路にあったものを移転したみたいです。
石製の反り橋です。昔は川が流れていたのかな~?
反り橋を過ぎると、神仏習合の名残でしょうか?山門がありました(^^;)
更に山門を過ぎると、尾張地方に多い「蕃塀」(ばんぺい)がありました。立て看板には「厄をさる福を招く 天下随一お申神社」と書かれています!
境内の中には「子産石」(こうみいし)と言うのがありました。この石に触れると立ちどころに懐妊すると伝えられていて、安産・夫婦和合の石として奉られています。
赤い板金屋根の手水舎です。身を清めてお詣りに向かいます。
地図で見ると、境内の中は高木で覆われていて、住宅地の中にポツンとある森の中に、神社があるのがわかります。正面真ん中にあるのが拝殿になります。
神楽殿です。中は立入禁止のようです。御神楽奉納の際に使用されるようです。
拝殿前には狛犬ならぬ狛申(猿)がいました。
タイトルにもありますように、日吉神社は申を崇敬しております。
拝殿にてお詣りをさせていただきました<(_ _)>
拝殿横には申(猿)が描かれた巨大絵馬(3m×4.5m)がありました!水墨画家の井上北斗氏により神前にて描かれ奉納されました。
拝殿横には境内社の「山王稲荷社」がありました。御祭神は倉稲魂神になります。
本殿になります。御祭神は大己貴命(おおなむちのみこと)、素盞鳴命(すさのおのみこと)、大山咋神(おおやまぐいのかみ)になります。
詳しくは「清洲山王宮 日吉神社」ホームページまで(^^)/
西側からの拝殿と本殿です。
社務所です。ここで御朱印をいただきました。
御朱印
薬師如来の御朱印です。今年、明治維新時の神仏分離令により神社から外部に出されていた仏像の薬師如来像が、150年ぶりにここ清洲の日吉神社に戻った記念に御朱印を発行されているようです。特別に本殿にて拝観させていただきました~(^^)/
今回は初めて清須市を訪問させていただき、「清洲城」とここ「日吉神社」を参拝しました。
場所:日吉神社


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