2018
12/21
金
前回に続いて『専修寺』(せんじゅじ)参拝の報告になります(^^)/
あまりにも見るところが多く、御影堂と如来堂の大きさ・華麗さ・荘厳さに圧倒され、
写真も1ヶ所でこんなに撮ったのは初めてでした(^^;)

前回は国宝指定となった御影堂と如来堂についてはあまり触れなかったので、今回はじっくり報告します。
まずは本山専修寺のご紹介
「真宗高田派の本山で、専修寺(せんじゅじ)といいます。三重県の中ほど、津市一身田町に位置し、宗祖親鸞聖人のみ教えをまっすぐに受け継ぐ寺院で、高田本山と通称親しみを込めて呼ばれている寺院であります。その高田派に所属する寺院は全国に600余ヶ寺あります。また、栃木県真岡市にある本寺専修寺(ほんじせんじゅじ)と共に境内の御廟(ごびょう)に親鸞聖人のご遺骨をお守りしています。
本山専修寺の境内には数多くの伽藍(がらん)が建ちならび、中でも御影堂・如来堂は平成29年(2017年)11月28日付けで国より三重県初の建造物国宝指定を受けました。加えて、11棟もの国の指定重要文化財を抱える壮大な浄土真宗の本山です。国宝の西方指南抄などの法宝物も所蔵して現代に伝えています。また、真宗最大の法会、報恩講は毎年1月9日から16日までつとまります。」
国宝に指定された「御影堂」(みえいどう)は間口 42.72m×奥行33.50mで、全国の現存木造建築物の中でも五番目の巨大な堂です。一重(単層)入母屋造で、正面向拝は三間あります。
説明板によりますと、
「専修寺伽藍の中心にある建物で、真宗高田派の開祖親鸞聖人の座像と歴代住持の画像(これらの像のことを御影と呼ぶ)を安置しているので御影堂といわれる。正保2年(1645)の大火ののち、津藩2代藩主藤堂高次から土地の寄進を得て、境内地がそれまでの3倍の約3万坪に拡がった。その境内地の中央に万治2年(1659)から建設が始められ、寛文6年(1666)に完成した。
間口約42m、奥行約33mという巨大な建築で、近世以前の国宝指定仏堂のなかで全国5番目の大きさを誇る。屋根瓦は約19万枚使われ、中の畳も内陣の板の間をのぞいて729畳も敷かれている。外観は和様という日本的で重厚な建築様式になっているが、内部は金欄巻きの柱、極彩色の天井、欄間の牡丹の彫刻など豪快さが目立つ。
本体と向拝をつなぐ虹梁上の構造が長野の善光寺本堂などと同じ構造なのも特徴の1つである。大工の主棟梁は江戸坂本三左衛門であったと伝えられているが、この人物は江戸幕府の御用大工だったらしく、藤堂藩を介して専修寺御影堂の建設に加わったと思われる。また脇棟梁のひとり森万右衛門は一身田の人で、その後幕府作事方の一員として活躍したことも知られている。」
と、書かれていました。
御影堂の説明板の隣に、宝永七年(1679)ころに造られたとされる「銅灯籠」の説明板もあります。こちらは津市指定有形文化財の工芸作品になります。
御影堂の正面向拝より階段を上り、堂内にてお参りをさせていただきました<(_ _)>
続いては、御影堂の西側にある「如来堂」(にょらいどう)は、間口25.66m×奥行26.62m、入母屋造で2階建てのように見えますが、下(1階屋根)は付庇のようです。如来堂の説明板にもありますように、本尊の阿弥陀如来が安置されておりますので、この堂が本堂となります。
如来堂の説明板によりますと、
「御影堂の西にならぶ建物で、堂内中央に「証拠の如来」と呼ばれる専修寺の本尊阿弥陀如来立像(国指定重要文化財)が安置されています。「如来堂御建立録」によると、享保4年(1719)に建設が始まったといい、資金不足のために工事には30年近くを要し、寛延元年(1748)に落慶遷仏の行事が行われました。東南隅の礎石に「寛保三亥年(1743)七月十二蓂」「本覚道元信士 俗名勘六」という刻銘があり、勘六という老人が工事の成功を祈願して人柱になったとという伝説が残っています。
屋根は2重になっていますが、2階部分はなく、下の屋根は裳階といって庇のような役目をしています。全体は禅宗様式で、組物が複雑で彫刻も多く、華麗な印象を受ける建物です。」
と、書かれていました。
国重文である「通天橋」と如来堂の外観になります。
通天橋の内部になります。全長31.86m×幅6.79mで御影堂と如来堂を結ぶ廊下です。両御堂の縁側にかかっているため高床とし、板張りで柱間はすべて吹抜けとしています。寛政12年(1800)の建立になります。
如来堂向拝から堂内に入り、お参りをさせていただきました<(_ _)>
山門入ってすぐ右手に、境内にはとても珍しい「茶所」(国重文)がありました。左が茶所で唐破風の屋根を持つ玄関は進納所入口となっていまして、ここで御朱印をいただけます。
進納所の横(北側)には「鐘楼」がありました。こちらも国指定の重要文化財になっております。
続いては鐘楼から北に進んだ所にある「大玄関」(おおげんかん)です。建立は寛政二年(1790)の再建と伝えています。こちらも国重文です。
国の重要文化財である「御対面所」になります。5室ずつ3列の座敷からなる建物で、周囲に廊下をつけています。大正初年まで法主が座を設けて、ここから門信徒に対面していました。天明五年(1785)の再建になります。
高田派の事務を行う中心施設である「宗務院」です。御対面所の東にあります。
食堂です。ここの寺院で働いている方々が、まだ使ってるんでしょうか?(^^;)
境内の一番東にある国指定重要文化財の「太鼓門」になります。お城にあるのは見たことはありますが、寺院にあるのは初めてです。内部に大きな太鼓が吊り下げられていて、一身田町の人々に、時をつげています。
南東側から国宝2堂の全景、御影堂(手前)と如来堂です!
別の日にいただいた御朱印です。実はネットで調べていたら、見開きの御朱印があるとわかったので貰いに伺ったんですが、国宝に指定された時に限定で書かれていたそうで、いただけませんでした…┛)"0"(┗ ガーーン!!
場所:専修寺


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