2018
12/09
日
賀多神社を後にして、続きまして本日4ヶ所目は、西へ100mの場所にある『常安寺』(じょうあんじ)を訪れました(^^)/
常安寺入口前には説明看板がありました。内容は、
「常安寺(九鬼嘉隆の菩提寺)
九鬼嘉隆の子、守隆が父の供養のため慶長12年(1607)に開いた曹洞宗のお寺で、鳥羽志摩地方の本山的なお寺となっています。
お寺には嘉隆が切腹した時の短刀や肖像画など数々の関係資料が残されています。
また、裏には九鬼守隆、その正室のほか九鬼氏一同の墓碑が並ぶ廟所(鳥羽市指定文化財)があります。」 と書かれていました。
入口から参道に「明治天皇鳥羽行在所」と書かれた石碑があります。明治天皇が西南戦争勃発を受け、鳥羽港に寄港した時に常安寺の奥書院に宿泊されたそうです。
石碑の奥には「薬師堂」かな?しっかり見てこなかったのでわかりません(^^;) 薬師堂の更に奥隣には「庚申堂」がありましたが、今にも朽ちそうな感じだったので入りませんでした。。。
山門です。シャチホコに鬼瓦がとても立派です。山門前には普通ある寺号標がありませんでした(^^;) 山号は玉龍山、寺号は常安寺で正式名は「玉龍山常安寺」になります。曹洞宗永平寺派の寺院です。
山門入って、すぐの右手に豪華な鐘楼堂がありました。
鐘楼堂の隣には、改修時に新品に取り替えられたため下ろされた、巨大な鬼瓦が飾られていました。高さは2.4mとめちゃくちゃでかかったです(^^)/
境内の右手には、大きな庫裡がありました。ここで御朱印を書いていただけます。
山門からの突き当たりには本堂がありました。
西日が逆光になって、綺麗に
撮れなくてすいません(^^;) 御本尊は釈迦如来となります。


常安寺の概要は、
「常安寺の創建は慶長5年(1600)、貫室善導によって開かれたのが始まりとされます。当初は大福堂と称していましたが、慶長12年(1607)、九鬼守隆が先代である九鬼嘉隆の菩提を弔う為、大改修し寺号を常安寺に改めています。以来、歴代九鬼の菩提寺となり、寺領100石や石燈籠の寄進などが行われ九鬼家が家督争いで移封後も綾部藩九鬼家、三田藩九鬼家とも関係がありました。
江戸時代は寺運も隆盛し志摩国にある寺院の触頭、曹洞宗66ヶ寺の僧禄寺の格式を得ていました。本堂背後の土塀の中には歴代九鬼家の墓碑や稲垣家墓碑が建立されています。寺宝が多く涅槃図(安土桃山時代)、薬師堂の鰐口(江戸時代)、石燈籠(元和4年:1618年)が鳥羽市指定文化財に、稲垣氏歴代の墓碑及び霊廟、九鬼家の廟所が鳥羽市指定史跡に指定されています。」
本堂前です。欄間の彫刻は龍でしょうか?とても素晴らしいモノなんでしょう、覆うように網が張られていました。
入口から中に入った向拝に、金文字で常安寺と書かれた扁額がありました。ここでお参りをさせていただきました<(_ _)>
御朱印
場所:常安寺


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