2018
12/05
水
鳥羽城跡に続きましては、城山のすぐ隣にある『大山祇神社』(おおやまつみじんじゃ)に行きました(^^)/
城山公園に入る手前に、下に降りる分かれ道がありました~!
分かれ道を降りると、境内に出たのでそのまま通り越して表の入口に向かいます(^^;)
参道階段下からですが、社号標は見当たりませんでした。。。
参道階段を上がった所にある石製の第一鳥居になります。
参道を過ぎると、緑の多い広い境内に出ます。奥にある第二鳥居から上に拝殿があります。
境内左側に、社務所がありました。が、普段は無人のようです。
右側には手水舎がありましたので、身を清めて進みます。
境内右手の奥の方にあるこの階段から、先程降りてきました。(城山公園手前からの分かれ道より)
神輿庫もありました。4月上旬には毎年春祭りが行われるそうで、その時に「神輿練りこみ」を神祭とし社前に奉納するようです。
境内奥にあるちょっと小ぶりな第二鳥居も石製です。拝殿は階段を上った上段にあります。
緑に囲まれたピンク色の拝殿です。御祭神は大山祇神、草野姫命、猿田彦命になります。大山祇神社は瀬戸内海に浮かぶ大三島の大山積神社の末社です。例祭は氏子四町が輪番で各町4年に一度、当番町として奉仕し、「獅子と天狗の舞」「神輿練りこみ」を奉納しています。氏子・町内の祭りとしてだけでなく「鳥羽まつり」として多くの人で賑わっているそうです。
木々の緑の中には各境内社も多くありました。
何とも珍しく、拝殿の中は砂利敷きとなっていました。拝殿の奥は本殿です。拝殿内の扁額には社号の「大山祇神社」と書かれています。拝殿の真ん中に賽銭箱と朱印所がございました(^^)/ 賽銭を納め拝殿にてお詣りをさせていただきました<(_ _)>
大山祇神社の由緒は
「文禄3年(1594)約四百有余年前、九鬼嘉隆が築城の際、石垣が何度も崩れたので、元城山に斎祀されていた大山祇神を現在地に移したら石垣も崩れず鳥羽城(二色城)が出来上がったとの申し伝えがあるが、古文書、記録等はおよそ慶長年間(1600年頃)の神社の大火の際、消失されたものといわれている。明治6年3月に村社に定められ、同39年12月神饌、幣帛、供進指定社となる。」
三重県神社庁のホームページより
大山祇神社の拝殿全景です。屋根が苔むして緑色になってる…(^_-)
御朱印
場所:大山祇神社


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