2018
11/17
土
善性寺から東に1㎞、本日2ヶ所目の訪問となったのは『南泉寺』(なんせんじ)です(^^)/
西側の大駐車場に
車を駐車し、南側の道路に面した入口に来ました。

寺号標には「瑞應山南泉寺」の文字が伺えます。山号は瑞應山(應は応の旧字)、寺号は南泉寺、正式名称は瑞応山南泉寺となります。臨済宗妙心寺派の寺院です。
参道を進むと分かれ道の中心に竜宮門がありました。
右側の参道突き当たりに山門がありました。美濃新四国のナンバープレートも掛かっています。南泉寺は美濃新四国八十八ヶ所霊場の第六十九番礼所となります。
山門くぐって正面が本堂になります。本堂全景です。
本堂右側の境内参道を斜めに行った先には大庫裡と玄関がありました。
本堂を左側から撮った全景です。御本尊は聖観世音菩薩になります。
南泉寺の由緒は
「南泉寺の始まりは、永正4年(1507年)に建立されたと伝わっています。当初は、恵解(えげ)寺といっていたが、美濃の国十代守護職土岐頼純が南泉寺と改称し、天分16年(1547年)に土岐家の旧館に寺を移しました。
初代の仁岫和尚の後を継いだ名僧「心頭滅却すれば、火自ずから涼し」の遺言を残した快川和尚もここに居て法門を説いていました。
名僧、「快川和尚・大愚和尚の肖像画」「土岐頼純の肖像画」「土岐頼芸が描いた鷹の絵」など、このころの歴史や文化を知る貴重な手掛かりとして、指定文化財にされて保存されています。
寺の裏にある墓地の奥には、土岐頼純の墓があります。頼純は天文11年(1542年)からの国盗りの戦いで、斉藤道三に攻められて、この大桑で天文16年に討ち死にをしました。それを仁岫和尚がここに葬った、と伝わっています。」
境内西側には鐘楼堂がありました。
鐘楼の北側には釈迦堂がありました。
釈迦堂前は屋根付きの参道があり、水子地蔵と手水があります。
釈迦堂内にてお参りさせていただきました<(_ _)>
本堂に戻り、本堂内にてお参りをさせていただきました<(_ _)>
本堂前の扁額は何て書いてあるのか読めませんでした…┐(-。-;)┌
本堂内に納経所がありましたので、浄財を納めて納経印をいただきました。
境内全景です。
納経印
場所:南泉寺


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