2018
11/11
日
貴船神社に続きましては、昨年も一度伺いました『関善光寺(宗休寺)』(せきぜんこうじ(そうきゅうじ))になりました(^^)/ 前回ブログも併せてご覧下さい♪
まずは前回と同じ構図になりますが、入口前から正面の高い所に本堂横側が小さく
写る絶景ポイントです。

寺号は宗休寺なんですが、通称の「関善光寺」の名が刻まれた社号標です! 山号は「妙祐山」で、正式名称は「妙祐山宗休寺」になります。天台宗安楽律法流の寺院です。
先程の本堂横側をUPにしてみました(^^)/ まるでお城みたいに石垣が高く積んであるのがわかります。
緩やかな参道階段を上がっていきます。本尊である「善光寺如来」と書かれたノボリがたくさんあります。
階段上がって、最初に手水舎がありますが、その横に境内案内図がありました! これがあると建物がどんな名前かわかるので便利です!
炎天下の中歩きづめでしたので、お茶所「宗休庵」で一息つきましたε-(´∀`*)ホッ
案内図によると手水屋(ちょうずや)と書かれていました(^^;) たしかに壁もあって豪華だから「屋」が合いますね~ 身を清めて各所のお参りに進みます。
手水屋の向かいには、ここの目的場所である「弘法堂」がありました。右の階段を上に行くと四国八十八ヶ所お遍路石仏巡りができます。
「弘法堂」と書かれた額があります。壁にはお馴染みの美濃新四国ナンバープレートも掛かっています。ここ関善光寺は第二十一番礼所となっております。中濃八十八ヶ所にもなっているようです。
お大師様が祀られている弘法堂内に入らせていただき、お参りさせていただきました<(_ _)>
弘法堂の横並びに「行者堂」がございました。
手水屋の横には八角形の「大日堂」があります。案内図では「宝冠大日如来堂」と書かれていますが… 前回お伝えしました「五郎丸ポーズ」の宝冠大日如来が祀られています。
本堂です。案内図ですと「善光寺如来堂」になっています(^^;)
関善光寺の概要は
「関善光寺の創建は延享2年(1745)、広瀬利忠が祖父母の遺言で祖先の霊を供養する為、草庵を設けたのが始まりと伝えられています。宝暦5年(1755)に竹本院の古跡を現在地に移し、智堂大和尚(比叡山)を招き開山し、祖父の戒名「歇山宗休居士」に因み寺号を「宗休寺」、祖母の戒名「慈岳妙祐大姉」に因み山号を「妙祐山」に改め妙祐山宗休寺竹本院としました。寛政10年(1798)に信州善光寺(長野県長野市)の出開帳がこの地で行われ、その縁で上野輪王寺輪番公寺澄法親王の持仏一光三尊善光寺如来を拝領しています。文政元年(1818)、一光三尊善光寺如来を本尊として信州善光寺を模した堂宇が計画され10年の歳月をかけた文政10年(1827)に竣工しています。以来、関善光寺として広く信仰されるようになりました。」
「善光」の額が目立ちます。中では日本で唯一の卍型戒壇巡りができます。本尊の善光寺如来像は銅製でできているそうです。本堂内左側に御朱印所がありましたので、美濃新四国の納経印を頂きました(^^)/
本堂と大仏殿(摂取殿)の間に「龍頭稲荷」がありました。
「大仏殿(摂取殿)」です。中の大仏は前回ブログを参照して下さい(^^)/ 大仏殿は旧本堂だったようです。宝暦3年(1753)に造営され、本堂と共に関市指定有形文化財に指定されています。
本堂(善光寺如来堂)と大仏殿(摂取殿)の全景です! 威圧感があります。
本堂よりももう一段上にある「鐘楼」です。3tある大梵鐘は岐阜県重要文化財となっており、県下最大だそうです。「太平護国天尊、大明嘉靖庚子歳製」(1540)の浮刻があり、明の12世:世宗の時代の鋳造です。
納経印です。
場所:関善光寺(宗休寺)


よければポチッとお願いします<(_ _)>

この記事と関連する記事
AFTER「美濃新四国八十八ヶ所の新長谷寺」
BEFORE「水の神を祀る 貴船神社」
COMMENT