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大人の事情 ~御朱印ライフ~

付き合いで始めた寺社(御朱印)巡り、今じゃ週末のライフワークになりました~♪

2018 10/28

徳川家康が御祭神の名古屋東照宮


那古野神社に続きましては、すぐ西隣にある『名古屋東照宮』(なごやとうしょうぐう)に行きました(´ー`)ノ
那古野神社とはちょうど向かい、反対側の西側道路に入口がありました。

名古屋東照宮 入口 



鳥居の横に「東照宮」と書かれた石製の社号標があります。

名古屋東照宮 社号標 



鳥居は銅板で仕上げられており、緑青が出て渋いイイ色となっています。

名古屋東照宮 鳥居 



鳥居をくぐって、すぐ左手に手水舎がありました。身を清めて先に進みます。

名古屋東照宮 手水舎 



境内にあるビルの一角に社務所がありました。よしずで日除けをしてる所に社務所があります。ここで御朱印を書いていただけます(^^)/

名古屋東照宮 社務所 



名古屋東照宮の由緒記がありました

名古屋東照宮 由緒記 

「当社に奉斎する家康公は尾張徳川家中興の祖にして名古屋の地を開き、城を築きて第九子義直公(尾張藩祖)を以て始めて居城せしめられ、名古屋開府の祖神にして恩神でもあります。
 家康公逝去後三年、即ち元和五年(1619)九月十七日に義直公は日光山鎮座の式に準じて城郭内三の丸に社殿を創建し、天台宗尊寿院並びに神主吉見氏を以て奉斎せられ、社領一千石を附せられたが、廃藩と共に廃せらる。
 明治五年五月に村社に列せられ、同年八月八日県社に昇格、同九年十月旧藩立校明倫堂跡地即ち現在地に遷座される。建物は、創建以来の権現造の本殿、渡殿、楼門、唐門、透塀、楽所、社務所等極彩色の国宝の諸建造物が並び、輪郭の美を極めていたが戦災を被り烏有に帰す。
 現在の本殿は、昭和二十八年十月、尾張徳川家より藩祖義直公の正室高原院殿(春姫)の霊廟(慶安四年(1651)建立)を移築し、社殿とする。
 昭和三十五年六月愛知県重文に指定さる。
 例祭は、家康公三年忌に当る元和四年より斎行せられ、名古屋祭と称し、十六日は舞楽を奏し、十七日は神幸の儀が行なわれ、神輿を始め、山車九両が若宮八幡社迄渡御す、山車は戦災に依り悉く焼失せり。」

とありました。



境内参道です。街中なのでか、参道周囲もインターロッキングブロックで綺麗に整備されています。奥が社殿(見えているのは唐門)となります。

名古屋東照宮 境内参道 



一段下には徳川葵紋の付いた賽銭箱があり、突き当たりに唐門があります。唐門にも徳川葵紋が入ったのれんが掛けられていました。隣の那古野神社は織田家の家紋でしたが、こちらは徳川葵紋と2大戦国武家が並んでいるのはとても珍しいです。唐門の両脇は透き塀となっていました。

名古屋東照宮 唐門前 葵紋 



東照宮社殿の説明板がありました。

名古屋東照宮 社殿由緒等 

「東照宮は元和五年()1619尾張藩祖義直が、名古屋城三の丸に創建、明治九年(1876)にこの地に移されたが、昭和二十年戦災により焼失した。
 現在の社殿は、義直の正室高原院の霊廟で、万松寺内にあったものを大正三年(1914)建中寺に移し、更に昭和二十八年に東照宮社殿として移建されたものである。
 棟札によれば慶安四年(1651)の建物である。県指定文化財。」

と書かれていました。愛知県の重要文化財になっているようです。

右側には「尾張東照宮御鎮座四百年祭」「祭神 徳川家康公四百年祭」の看板も掲げられていました。祭典の日程を見ると両方とも終わっていますが…(^^;)



唐門から本殿を臨んでいます。由緒記にもありましたが、御祭神は徳川家康になります。本殿は日光東照宮の煌びやかさとは違い、落ち着いたと言うより寂れた雰囲気となっています。

名古屋東照宮 社殿(本殿) 



唐門の右側には末社の「福神社」(ふくじんじゃ)がありました。御祭神は大国主命・事代主命となっています。出世開運・商売繁盛・厄除・学業成就・勝負運・金運・縁結びにご利益があるようです。

名古屋東照宮 福神社 



御朱印は名古屋東照宮と福神社で一枚(見開き)となっています。600円です。
名古屋東照宮 

場所:名古屋東照宮



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