2018
10/26
金
愛知縣護國神社を後にして、次に向かったのは『那古野神社』(なごやじんじゃ)となりました(^^)/ まずは東側の道路(歩道)に面し、石製の鳥居がありました。
鳥居の右には「那古野神社」と刻まれた社号標があります。
社号標の右には那古野神社の由緒書きがありました。
「延喜十一年(911)の創建といわれ、素戔嗚尊(すさのおのみこと)を祭神とする。もとは天王社又は亀尾天王社ともいい、城内三の丸にあった。慶長十五年(1610)名古屋城築城の際、徳川家康が御神籤(おみくじ)でもって神意を伺ったところ、遷座不可と出たため、そのまま城内に留まり城の鎮護、名古屋の氏神として祀られた。明治九年(1876)現在地に移され、明治三十二年那古野神社と改称された。
かつて六月十五・十六(現在は七月十五・十六日)の例大祭には車楽(だんじり)が曳きだされ、また近隣からも山車が集まって、夏の城下町名古屋を鮮やかに彩った。」
と、書かれていました。
鳥居をくぐって中に入ります。鳥居の前には反り橋もどきもありました(^^)/
境内に入ってすぐの所に巨大な手水舎がございました。身を清めます。
境内参道が北向きになる所の両脇に「永代常夜灯」がございました。
参道正面の奥には社殿が伺えます。参道途中にも数多くの常夜灯がありました。
シックな色の社殿(拝殿)です。社殿は神明造りっぽいんですが、千木がないんですよね~┐(-。-;)┌
御祭神は先程の由緒にもありましたが須佐之男神(素戔嗚尊)と櫛稲田姫神、配祀に兵主神、八柱神となっております。
拝殿前には織田家の家紋が入った提灯がぶら下がっています。賽銭箱の正面にも黄金色の家紋がありました。天文元年(1532年)の合戦で社殿を焼失しましたが、天文8年(1540年)織田信秀により再建されていますので、織田家の家紋があるようです。
拝殿にてお詣りをさせていただきました<(_ _)>
「厄除の公孫樹」(やくよけのいちょう)です。
「この公孫樹は昭和二十年三月十九日の空襲により消失いたしましたが、その後二、三年でまた新しい芽を出し今日の立派な木に成長いたしました。延命長寿の縁起の良い公孫樹であります。」
末社になります「福寿稲荷社」です。
こちらの「金山神社」も末社になります。岐阜県垂井町にある南宮大社から分霊しております。金属や金物の神様として、その関係の業界の人たちが参拝に訪れます。
拝殿の右手にあった社務所にて御朱印を書いていただきました(^^)/
場所:那古野神社


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