2018
10/24
水
名古屋城内で食事を済ませ、次に向かったのは『愛知縣護國神社』(あいちけんごくじんじゃ)です(^^)/
名古屋城からは南へ
歩いて10分程で、官庁街の中にございました。

伺ったのはお盆前だったので、献燈祭の準備に仮設やぐらを組んでいました。ここに献灯がビッシリ取付けられるみたいです!
さすがに鳥居が見えないのは残念なので、斜めから撮りました(・∀・)ゞ 社号標には「愛知縣護國神社」と旧字で刻まれていました。
鳥居の横には由緒が書かれていました。
「尾張藩主徳川慶勝候が戊辰の役に戦死した藩士達の霊を現在の昭和区川名山町に祀り旌忠社と號く
明治八年国家の斎祀となり招魂社更に同三十四年官祭招魂社と改称す
大正七年城北練兵場(現在の名城公園)に移り、更に昭和十年当地に遷座、同十四年勅令に依り現在の社名に改称す
昭和二十年三月十九日御社殿戦災により炎上せるも、縣民の浄財を結集して復興、同三十三年十一月六日遷座祭を斎行、同三十七年十月二十六日
天皇皇后両陛下の御親拝を添うす
平成十年御社殿増築竣工により戦災復興完了とす」 とありました。
境内案内図がありました。これがあると後から見返せるので助かります(^^)/
大きい手水舎です。身を清めて中に進みます。
幅の広い境内参道です。両脇の高木で日陰ができているので真夏なのに涼しげです。
神門前の参道真ん中に「太玉柱」(ふとたまばしら)と言うのがございました(^_-)
「終戦50周年を機に、祖国・同胞・家族を護るため、身命を捧げられた愛知縣護國神社の御祭神九万参千余柱の神霊に感謝の誠を杉の真柱(地上9.3メートル)に託し、これを太玉串として捧げ、御英霊の遺訓を体し、今日まで祖国日本繁栄のため、盡瘁された先人をも顕彰し恒久の和平と安泰を祈念して建立。」
と、ありました。
境内南東から、神門を中心とした全景になります。
境内西から、建物全景(見えているのは正面の神門のみ)です。左の緑は稲穂ですかね?(^^;)
愛知縣護國神社は先程の由緒でもありましたが、戦没者を祀っています。戊辰戦争から第二次世界大戦までの愛知県の戦没者約9万3千余柱を祀っています。創建は明治二年(1869年)になります。
建物の東奥には「昭和の森」がありました。真ん中にあるロケットみたいなのは、「戦艦大和記念碑」と書かれていました。
神門です。ここより先には行けませんので、ここでお詣りさせていただきました<(_ _)>
神門から中を見ています。正面は舞殿・拝殿になります。本殿・霊殿は更にこの奥にあります。
社務所です。ここで御朱印を書いていただきました。
御朱印
場所:愛知縣護國神社


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