2018
10/12
金
鎮国守国神社に続いては、旧東海道桑名宿にある『七里の渡し』(しちりのわたし)です(^^)/
東海道五十三次で知られる宮宿から桑名宿の海路を結ぶ、桑名宿側の渡船場を「七里の渡し」と呼びます。海路の距離が七里(一里約4㎞×7で28㎞)だったことから名がついたようです。
まずは街道沿いの道路から正面に木製の鳥居があります。この鳥居は、式年遷宮ごとに伊勢神宮宇治橋の鳥居を移して建て替えています。今年は20年に1度の建て替えの年にあたります。
街道沿いには「旧蹟 七里のわたし」と書かれた石碑もありました。
「東海道五十三次 七里の渡跡」と書かれた説明板には
「桑名宿と宮宿(現名古屋市熱田区)の間は江戸時代の東海道唯一の海路で、その距離が七里(約28キロ)あることから、七里の渡と呼ばれました。七里の渡は、ちょうど伊勢国の東の入口にあたるため、伊勢神宮の「一の鳥居」が天明年間(1781~1789)に建てられました。
七里の渡の西側には舟番所、高札場、脇本陣駿河屋、大塚本陣が、七里の渡の南側には舟会所、人馬問屋や丹波本陣があり、東海道を行き交う人々で賑わい、桑名宿の中心として栄えました。
昭和33年(1958)、七里の渡跡は三重県指定史跡となりました。昭和34年(1959)には伊勢湾台風によって、この付近は甚大な被害を受けました。現在では七里の渡跡の前に堤防が築かれたため、七里の渡跡の風景は、江戸時代とは異なる表情を見せています。」
と書かれていました。
桑名宗社前には歌川広重作の「東海道五十三次・桑名 七里渡口」の浮世絵がありました。
七里の渡しから揖斐川を上流に、歩いて5分ほどの所に『住吉神社』(すみよしじんじゃ)があります。航海の安全を祈り、大阪の住吉大社より勧請して建立されました。
鳥居は石製です。脇の灯籠は珍しく常夜灯と書かれています。岸壁にある神社なので、海路の目印になっていたのでしょうね~(^^)/
境内参道は石畳となっています。二の鳥居は木製のようです。
住吉神社の由緒が書かれていました。
「桑名は古くから伊勢湾、木曽三川を利用した広域的な舟運の拠点港として「十楽の津」と呼ばれ、木材や米などの集散する自由活発な商業都市として発展してきました。
ここ住吉浦は、廻船の舟溜まりで、全国から多数の廻船業者が集まっていました。
これらの人達によって航海の安全を祈り、正徳五年(1715年)に摂津の国「住吉大社」より勧請してこの住吉神社が建立されました。
神社前の石鳥居や石灯篭は江戸時代の材木商たちによって、狛犬は明治中頃に備前・備中や阿波の国の廻船業者たちによって寄進されたものです。
近年には、西船馬町にあった「玉重稲荷」が合祀されるなど、桑名宗社境外末社として、一貫して当町がご奉仕しております。
なお、平成十五年には、揖斐川防潮堤が高潮対策として改修整備されたため、社殿が新しく建て替えられましたが、以前と同じく元旦には初日の出が鳥居の真ん中から上がることで初詣の人気スポットとなっています。
さらに伊勢大橋、多度山方面の眺めは、水郷桑名ならではの絶景の趣があり「七里の渡し」と共に、水郷めぐりの発着点として大いに利用されています。」
二の鳥居と社殿(拝殿)です。西日が眩しかったです…
句碑が刻まれていました。 「水神に 守られ 冬も 大河なり」
社殿(拝殿)です。平成15年に新しくなっていますので、まだまだ綺麗です。
御祭神は表筒男命、中筒男命、底筒男命、神功皇后です。合祀は八幡宮、天照大御神、稲荷大明神となっております。
拝殿前にも小さい鳥居があり、とても珍しく感じました(^^;) 扁額には住吉大明神と書かれていました。 拝殿前にてお詣りをさせていただきました<(_ _)>
御朱印は桑名宗社でいただけます。17時ちょっと前でしたので、走って戻って書いてもらいました(^^;) ギリギリでした。。。
場所:住吉神社


よければポチッとお願いします<(_ _)>

この記事と関連する記事
AFTER「美濃新四国八十八ヶ所の乗福寺」
BEFORE「桑名城跡と鎮国守国神社」
COMMENT