2018
10/10
水
続いては、桑名宗社の参道を東へ進んだ、突き当たりにある「桑名城跡」の中に鎮座する『鎮国守国神社』(ちんこくしゅこくじんじゃ)へ行きました(^^)/
桑名城跡の現在は九華公園となっていて、野球場やプールまであります。
入口前には桑名城絵図がありました。この絵ではどこがどう変わったのかよくわかりませんが…(^^;)
とりあえずこんなお堀を見ると、お城があったんだなぁと思いますね~
公園の中には「三重県指定史跡 桑名城跡」と書かれた石碑がありました。
石碑の左に行くと石製の鳥居がありました。
鳥居をくぐった右手に社号標がありました。社号標が後にあるのは初めてです(^^;)
左手には「修祓殿」と書かれたお堂がありました。この場所はお祓いをする場所なんでしょうか??
正面には「宮光稲荷大明神」と書かれた石碑がある、鎮国稲荷神社がありました。
鎮国主国神社の正面は境内右の方にありました。鳥居の前には「縣社 鎮国主国神社」と書かれた社号標がございました(^^)/ 参道真ん中には茅の輪くぐりが伺えます。
鳥居をくぐって左手に手水舎がありましたので、身を清めます。
右手には神馬ならぬ神牛の像がありました。天満天神を祖殿に奉祀したときに奉納されたようです。
神牛の隣には「楽翁殿」と書かれた建物がありました。公民館のような感じです。
鎮国主国神社の拝殿です。主祭神は藩祖である松平定綱(鎮国)、松平定信(守国)になります。
鎮国主国神社の由緒は
「天明4年(1784)白河(現福島県白河市)城内に松平定綱(鎮国公)を祀ったのが始まり。
文政6年(1823)白河から桑名へ移封にともない当社も桑名城本丸に移りました。のち松平定信(守国公=楽翁)をも祀り、明治維新後しばらくは本丸の外に移っていましたが、明治40年(1907)本丸跡の現在地に移りました。
大正8年(1919)に現拝殿が完成、昭和9年(1934)に楽翁公百年祭記念宝物館が完成しました。戦災を免れたので、拝殿・社務所など戦前の姿を残しています。境内には楽翁歌碑があります。毎年5月2日・3日には例祭の金魚祭が行なわれ、金魚みこしや屋台で大変な賑わいです」
拝殿前にてお詣りをさせていただきましたm(_ _)m
左手奥に行ったところに、摂社の「九華招魂社」がございました。戊辰戦争から第二次世界大戦で亡くなった、桑名出身者の戦没者を祀っています。こちらでもお詣りさせていただきました。
社務所です。不在でしたので1時間ほど周辺をブラブラしてきました~(^_-)
御朱印
場所:鎮国主国神社


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