2018
10/06
土
今日は三重県桑名市に、出張ついでに御朱印巡りをしました。まずは海沿いの市営吉之丸コミュニティパーク駐車場に
車を停めます。駐車場では桑名藩初代藩主の「本多忠勝」像が出迎えてくれました(^^)/

最初に伺ったのは、『桑名宗社』(くわなそうしゃ)です。桑名宗社とは「桑名神社」と「中臣神社」の両社をあわせた名称で、古来桑名の総鎮守として崇敬されています。
参道入口には緑青が出ている銅板で覆われた、青銅製の大鳥居があります。この鳥居は、寛文七年(1667)に七代桑名藩主松平定重によって建てられました。
「しるべいし」と書かれていました。
「「しるべいし」は「迷い児石」とも言われ、人の大勢集まる所に立てられました。同じものが多度大社の鳥居の横にもあります。
自分の子どもが迷子になると、左側面「たづぬるかた」に子どもの特徴や服装などを書いた紙を貼って、心当たりのある人が右側面の「おしゆるかた」へ子どもが居た場所などを書いて貼ります。」
だそうです。城下町だから人がたくさんいたんでしょうねぇ(^^)/
一般の道路になっている参道は石畳でとても綺麗に整備されています。奥に見えるのが神社には珍しい楼門になります。
逆光でしたので、ちょっと斜め横から
撮りました(^^;) 大変立派な楼門ですが、一度空襲で焼失し、再建されたものだそうです。

門前には、「くわな石取祭」のノボリがあります。ユネスコの無形文化遺産に登録されたのも記憶に新しいです。2階に掲げられている扁額は「桑名宗社」の文字がありました。
寺院では仁王像ですが、神社ですので右大臣、左大臣が守っておられました(^^)/
楼門をくぐってからの参道です。屋根付きの背の高い玉垣のような柵が両側にあり整然と感じます。
柵を過ぎたあたり参道左手に、手水舎がありました。重厚な造りだなぁと見ていたらコンクリート造でした…(^^;) ここで身を清めて進みます。
参道右手には「金龍桜」と名前が書かれた八重桜がありました。桑名城主松平定綱公が摂津国(大阪府)古曽部の金龍寺の原木から分植したものなので金龍桜と言うみたいです。
拝殿前にある第二鳥居は石製でした。ここでも逆行でしたのでちょっと斜めから(^^)/
拝殿です。逆行です… 最初にも書きましたが、桑名宗社は桑名神社と中臣神社の合社のため、拝殿も二つに分かれています。
まずは、右側に桑名神社の拝殿です。神紋は上り藤に三の文字があります。御祭神は天照大御神の第三御子天津彦根命と、その大神の御子天久々斯比乃神の二柱になります。
続いて左側の中臣神社拝殿です。神紋は上り藤に大の文字があります。御祭神は天日別命で、相殿に春日四柱神となっています。奈良春日大社から春日四柱神を勧請合祀してからは「春日さん」の通称が正式名称より多く呼ばれ親しまれています。
両社の拝殿前にてお詣りをさせていただきましたm(_ _)m
先程の拝殿正面は逆行でしたので、社務所前の斜め後方から社殿全体を一枚!
桑名宗社の由緒は
「 桑名神社は平安時代、延喜式神名帳にその名の見える古社で、御祭神は天照大御神の第三御子天津彦根命と、その大神の御子天久々斯比乃神の二柱です。天津彦根命は国史にも見えた様に御子孫の殊に御繁栄になった神であり、また天久々斯比乃命は神徳霊妙な神で、桑名首(上代桑名の豪族)の祖神であるので桑名の開祖として『繁栄の神様』と仰がれています。
中臣神社も延喜式神名帳にその名を見える古社であり、桑名神社と共に延喜式内社とされています。御祭神天日別命は神武天皇御創業の時の功臣で伊勢国造の遠祖として仰がれ『厄除けの神様』とされています。
その後は繁栄の一途をたどり、織田信長・徳川家康などより神領の寄進、本田忠勝・松平定綱などの歴代桑名城主から篤く崇敬されました。」
社務所です。ここで御朱印を書いていただきました~♪
拝殿正面もちょうど太陽が隠れたので一枚!
桑名宗社の御朱印
両社見開きの御朱印です!見開きは初です(^^)/
場所:桑名宗社


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