2018
10/02
火
真長寺に続きまして本日2ヶ所目は、『大智寺』(だいちじ)に行きました(^^)/
昨年10月に一度「美濃西国三十三観音霊場」の巡礼で伺いましたので、2度目の訪問になります。前回のブログ「徳川葵紋のある大智寺」も併せてご覧下さい。
入口左にある池の中に「大智寺」と刻まれた寺号標があります。右には石畳の参道が続きます。
先程の参道を進んだ先の突き当たりを、左に曲がった場所に山門があります。山号である「雲黄山」と書かれた扁額が掛かっています。正式名称は「雲黄山大智寺」です。臨済宗妙心寺派の寺院になります。
境内参道中程に前回注目した、徳川葵のご紋幕がある中門があります。山門は黒い塀でしたが、中門周りは白い塀になっていました。
白い塀の続きは、とても珍しい「瓦塀」となっていました(´ー`)ノ いろんな形の瓦を、組み合わせて貼り付けたデザインが秀逸です♪
中門の正面にある「大ヒノキ」を右に、参道正面には手水舎がありますので身を清めます。手水舎奥の階段上に勅使門があります。
勅使門です。使われていませんので閉められていました。前回は屋根が茅葺きと書きましたが、よく見たら檜皮葺きでした…(^^;) 扉にも彫刻が施されていて手が込んだ作りになっています。
勅使門の内側です。棟には金色に輝く徳川葵紋がありました(^^)/
勅使門の手前を右に行きます。脇には菩薩像や明王像など様々な石仏が並んで祀られています。
石仏を越えて左に曲がると、最初に鐘楼堂があります。
鐘楼堂を左に、正面が美しい形の大庫裡です(^^)/
庫裡の左側には、大智寺の本堂があります。大きすぎて、全景を
撮るのに勅使門の横まで下がりました(^^;) 本尊は釈迦牟尼仏になります。また、美濃新四国八十八ヶ所霊場の第八十二番礼所となっております。今回ナンバープレートは見当たりませんでした…(^^;)

本堂内にてお参りをさせていただきました<(_ _)>
大智寺の縁起は
「約800年前に天台宗の寺院として建立されていたが、戦国時代には荒廃し、その地を北野城主であった鷲見美作守保重によって菩提寺として再興されたのが、現在の大智寺である。
時は明応九年(1500年)三月十九日岐阜瑞龍寺悟渓和尚八哲の一人玉浦宗眠和尚を請じ、開山始祖とした。かつては12院の塔頭寺院があったという。
徳川時代には、幕府より18石8斗の御朱印を受け葵の紋を許された。現在も、大智寺の勅使門・仏具などに葵の紋が使われている。」
境内の一番奥にあるのが観音堂です。前回の訪問は「美濃西国三十三観音霊場」の巡拝でしたので、この観音堂へお参りしております。
観音堂内の納経所にて、浄財を納め納経印をいただきました。
納経印
場所:大智寺


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