2018
09/30
日
今日は先週に続いて美濃新四国の巡拝に行きました(^^)/ まずは前回伺った清閑寺から北に2キロの場所にある岐阜市三輪にある『真長寺』(しんちょうじ)になりました。
駐車場は山門前にありましたので、
駐車してから参道前まで
歩いて戻りました(^^;)


「三輪山 真長寺」と刻まれた寺号標です。山号は三輪山、寺号が真長寺で、正式名称は三輪山真長寺となります。高野山真言宗の寺院です。
赤いノボリには「南無三輪釈迦如来」とあります。真長寺は寺号より「三輪釈迦」と通称で呼ばれることが多く、釈迦如来が本尊となっております。
朱に塗られた赤い山門です。 この道路挟んだ向かいに
駐車場があります。

山門を中に入ってすぐに手水舎がありました。山門と同じく手水舎も朱に塗られています。境内の参道は緑の笠がかかって日陰となっているので、真夏ですが涼しく感じました。 身を清めて中に進みます。
手水舎を過ぎたところの階段を、右に曲がった突き当たりに釈迦如来が祀られている釈迦堂があります。本堂らしい建物は見当たりませんでしたので、ここでお参りをさせていただきましたm(_ _)m
ご本尊はもちろん、この釈迦堂に祀られている国の重要文化財である釈迦如来になります。また、美濃新四国八十八ヶ所霊場の第八十三番礼所にもなっております。
釈迦堂下には釈迦如来についての看板が2つありました。
国指定重要文化財 木造釈迦如来座像
「この仏像は、木造の釈迦如来座像としては、日本一の大きさである。高さは丈六(立てば4.85m)、台座を含めると4mの大仏で、平安時代の中期から後期にかけて制作された。
この頃、奈良からやってきた豪族の三輪氏が、米作に必要な山県用水路をつくるため、工事の安全と人々の安らかな暮らしを祈願して、三輪山の中腹にこの大仏を安置した。それは大変な事業で、奈良からはるばる海路を経て長良川をさかのぼり、三輪の地にお釈迦様をまつることができた。千年以上ものあいだ、ふっくらとした大きな体に穏やかな顔と左右の手で、拝む者を慈しみ、平穏と寛大さを与えてくださる。
作風は彫刻された桂の木にうるしを塗り、その上に金箔をはって作られており、頭や体から出る光明も、二重の円光を持つ後背として作られた時のまま残っている。現在も光沢の失せない気品に満ちた美しくやさしい大仏である。
昭和26年、文部省から派遣された3人の仏師によって、真長寺において解体修理が行われ、桧の台座が新しく造られた。
昭和55年、山の下に現在の保存庫の釈迦堂が造営され、山の中腹から移されてここに安置された。
平成10年から11年 京都国立博物館内の日本美術院において最新の技術で解体修復が行われ、保存庫の屋根も修理された。
平成11年5月4日、三輪釈迦如来開眼大法要が行われた。」
国重要文化財 真長寺 木造釈迦如来座像 大正四年三月二十六日指定
「本像は、桂材の寄木造りの漆箔仕上げである。この釈迦如来は、いわゆる定朝様の堂々たる丈六の来迎形で、右手は施無畏印(せむいいん)を結び、左手は与願印(よがんいん)で示し、結跏趺坐(けっかふざ)した姿である。まるい椀形の肉髻(にくけい)・地髪(じはつ)には螺髪(らほつ)を整然と配し、肉どりも過不足がなく、藤原期の典雅な作風を示している。本像の制作は藤原時代と思われる。
光背は頭光と身光いずれも、円光形式の二重組み合せで、これは、二重円光といわれて藤原期に流行した形式である。刀法は幾分浅くなっているが、体部の一部に翻波の名残りをとどめ、いかにもどっしりとした像容、胸から腹部へそして膝を覆った衣丈の表現は藤原期の特色である。木造でありながら表面に厚く漆をかけているところは、乾漆像の効果をおり込んだものと思われる。」
造りの形式で制作時期が平安中期ってことは、今から1000年程前に造られたんですね~(^^)/
真長寺大仏 です!
入口の扉は網になっていましたので、網越しに大仏様を
写させていただきました(^^;)

境内の西奥には石庭がありました。右の客殿から
撮影できればよかったのですが、当日は住職が不在で勝手に中に入るのは気が引けましたので外からの
撮影です。


石庭の説明看板には
岐阜市指定文化財 名勝 真長寺の石庭
「この石庭は江戸時代の初めに造られた京都の竜安寺の庭と同じ形式の数少ない名園である。
川石の飛び石を伝って行くとやがて飛び石は山石に代わる。大きな山石を境にしてそこから先は、現世から蓬莱の(仙人が住むと伝えられる)世界へと導かれる。一面に広がった杉苔の中に点在する苔むす名石は昔のままで、土塀に囲まれた空間に大小7個の山石が無類の世界を構成する。
真言密教の思想からいうと瞑想曼荼羅(理想の仏様、大日如来を中心にした宇宙)を表している。
客殿の縁に座って眺めると、やわらかな緑の苔の間に配置された石、庭を仕切る塀、その背後は竹林から山へと世界が広がっていく。
そして世俗からへだてられた清らかな美しい空間の中で自分を見つめることができる。きわめて思想性と抽象性の高い枯山水の石庭である。」
と、書かれていました。
昨年、石庭のある京都の「龍安寺」も行ってますので、そちらもご覧ください(^^)/
納経印は後日、ご在宅を確認していただきました。
場所:真長寺


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