2018
09/20
木
江月寺に続きましては、1㎞ほど南に下った名鉄
の沿線沿いにあります『瑞應寺』(ずいおうじ)に行きました(^^)/

まずは道路沿いの駐車場に車
を停め、道路の反対側から
撮った全景になります!


境内の南側に細い路地があり、手前に寺号標がございました。寺号標には「麟祥山 瑞應禅寺」と刻まれています。山号は麟祥山、寺号は瑞應寺で正式名称は麟祥山瑞應寺となります。臨済宗妙心寺派の寺院です。
南側の塀には石仏が納められた堂となっており、本四国八十八ヶ所の写し霊場となっていました。
手前には本四国八十八ヶ所の御砂巡踏所と書かれた石碑もございました。
通称を「赤門寺」と呼ばれる瑞應寺の鐘楼門になります。小振りな楼門ですが、朱に塗られたことで華やかさを醸し出しています(^^)/
鐘楼門をくぐった正面に本堂が伺えます。本堂の全景を撮りたいボクには、右の大きな松の木は非常に邪魔でした…(^_-)
境内西側にはお墓の奥に観音堂がありました。
観音堂の中には西国三十三所の写し霊場となっており、観音様の石仏が祀られていました。
続いて、正面にある本堂です。本尊は聖観世音菩薩となります。美濃新四国八十八ヶ所霊場の第三十一番礼所になっています。
瑞應寺の歴史は
「1664年(寛文4年)に笠松草分け八人衆の一人、廣瀬荘右衛門が即禅智性禅師を姫路の真禅寺から開山として迎え、笠松町新町に創建する。
江戸時代は笠松郡代(美濃郡代)と関係が深く、過去帳には歴代の美濃郡代の名が記されている。
1758年(宝暦8年)、禅宗の中興の祖と称せられる白隠慧鶴禅師(当時74歳)が法演している。
1891年(明治24年)の濃尾地震によって伽藍が失われたが、再建された。
1923年(大正12年)に区画整理に伴い現在地に移転する。」
本堂の右側にあったのは、「太子堂」です。南無弘法大師のノボリもあるように、弘法大師様もここに祀られています。
堂内には聖徳太子と弘法大師の提灯が下げられています。右側にお大師様が祀られていました。堂前にはお馴染みの美濃新四国のナンバープレートも貼られています。中に入りお大師様の前でお参りをさせていただきましたm(_ _)m
堂内に納経所がありましたので、浄財を納め納経印を頂きました(^^)/
納経印
場所:瑞應寺


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