2018
09/10
月
岐阜県大垣市にある『新善光寺』(しんぜんこうじ)は今回で2度目の訪問になります(^^)/ 以前の内容はこちら『牛に引かれて新善光寺』でご確認を!
今回は西美濃三十三霊場の巡拝として伺いました。まずは入口からの全景になります。住宅街の一画にあるため、寺院らしさはあまり感じられません(^^;)
入口には、珍しい円柱の寺号標がありました。前回の時は「地蔵祭」の看板が掛かっていたので見えませんでしたが、寺院の卍マークに新善光寺と刻まれています。
その隣には西美濃三十三霊場の石碑もあり、ここ新善光寺は第拾七番霊場となっています。山号は西額山で、寺号が新善光寺、正式名称は西額山新善光寺で天台宗の寺院になっております。
新善光寺の沿革は
「当寺は西美濃の有志が信州善光寺と協力し明治十五年六月一日恵心僧都作一光三尊如来を信州善光寺より拝受し大垣市郭町に安置したことに始まっています。
その後、御利益ありて、庫裡、観音堂、聖天堂などが建立されました。
明治二十四年十月二十八日濃尾地震に遭遇し本堂を始め寺院の建物はことごとく全壊しましたが、ひとり本尊のみ少しの損傷もなく残されました。それ以来参詣者は益々多くなり、明治四十一年に現在の本堂が再建されました。
昭和十二年道路拡張工事のため現在の緑園に本堂を移築し今日に至っています。」
と、書かれていました。
納経所と書かれた庫裡前からの本堂全景です。明治41年に再建され、昭和12年に現在地に移転した約110年と歴史があります。耐震補強で屋根下に付けられている細い鉄骨柱が古さを際立たせているようです。(^^;)
唐破風屋根下の向拝部分です。「善光寺如来」の扁額が手前と中に2枚掲げられています。外側は文字の色が剥げちゃってうっすらとわかる程度です。
善光寺如来の縁起が書かれていました~
「人類永遠の光、大恩教主であるお釈迦様が、印度の大林精舎で説法されていた頃、悪疫が国中に流行しました。お釈迦様は、この疫病は前世の報い故、我が力とて及ばず、阿弥陀如来の大慈悲心にすがり、一心に南無阿弥陀仏を唱えよとお教えになりました。人々は香華燈明を捧げて祈念しました。
そのとき、阿弥陀如来は、観音菩薩・勢至菩薩と共に現われ、一大光明を放たれました。そのため、さしもの悪疫も日ならずして平癒してしまいました。このとき現れた仏様は、一光三尊善光寺如来で、一光中に弥陀・観音・勢至が同時に存在する仏様でした。阿弥陀如来は、極楽浄土の教主であり大慈大悲の四十八願を誓願されました。四十八願はすべて衆生を済度する願いであります。観音菩薩は、慈悲の観音と言われる程の慈悲心に満ちた仏様です。勢至菩薩は、知恵の仏様で、経文に、知恵の大勢一切に至るが故に勢至と名ずけたとあり、学業成就の仏様とされています。一光三尊善光寺如来は、弥陀の四十八願と観音の慈悲と勢至の知恵とが一大光明により授与される最高位の仏様です。」
と、書かれています。こういうのは信州善光寺で見てこないとね~(^^;)
秘仏である本尊の阿弥陀如来は公開されていませんので、向拝にてお参りをさせていただきましたm(_ _)m
最後は先程の場所の向かい側からの全景です。ドラえもんと一緒の水子地蔵などたくさんのお地蔵様と新善光寺本堂です。
西美濃三十三霊場の御朱印です。
場所:新善光寺


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