2018
08/23
木
本日は、再び長野県へ行ってきました~(^^)/
まずは
駐車場からの
1枚です。


入口の階段前には、大きな「元善光寺」と書かれた看板がありました(´ー`)ノ
参道階段の前には「元善光寺」と刻まれた、小さい寺号標がありました。寺号標には書かれていませんでしたが、山号は「定額山」です。天台宗の寺院になります。
元善光寺と名付けられる前は座光寺と言われ、今も地名にその名が残っています。
参道階段の中段に山門がありました。
山門の横には元善光寺の境内案内図がありました!これがあると、何がどこにあるのかすぐにわかるのでありがたいです。
山門の左側には矢場がありました。矢場は矢を的に向かって射る練習場です。この屋根のある場所が矢を射る場所になります。
屋根下の「金的中」と書かれた奉納額が数多く掲げられていました。
山門をくぐり更に階段を上がったところに鐘楼がございました(^^)/
先程の看板には「浄水」と書かれていた手水舎がありました。身を清めます。
元善光寺本堂全景です。信州善光寺の大きさはありませんが、善光寺らしさはちゃんとあります。本尊はもちろん善光寺如来になります。
元善光寺の由来が書かれた看板です。
「元善光寺は、今から約一千四百年前第三十三代推古天皇十年に、本多善光卿(よしみつきょう)によって開かれたという。
善光卿は麻績(おみ)の里の出で、国司に随って都に上り、ある時難波の堀江で一光三尊の如来にめぐりあい、これを背に負って故里に帰り臼を浄めて安置し奉った。これがこの寺の創りである。
臼はかくしゃくとして輝き、御座光の臼とよばれて今もこの寺の霊宝となっている。里を座光寺と称するのもこの縁によるものであろう。
四十一年を過ぎ、第三十五代皇極天皇二年、勅命によって本尊は芋井(いもい)の里に遷された。今の長野善光寺がそこに始まる。この時同じ一光三尊仏を造ってこの地に留められ、寺は元善光寺とよばれるようになった。
善光寺の名は本多善光卿の名に基き、元善光寺の元は本元の意で、古来善光寺に参詣するだけでは片参りになると言い伝えられた。
この寺の由緒の深さをもの語るものといえよう。」 とありました。
本堂前の扁額には「元善光寺」と書かれています。両脇には弓道大会の番付表のようなものが飾られていました。
本堂の左手には「客殿」がございました。唐破風の玄関屋根が松で見えにくくなっていますが、化粧の飾りがかなり凝った造りなっていました。
本堂右奥にあるのは「宝物殿」になります。宝物殿には数々の仏像や涅槃像、由来に出てきました「御座光の臼」等が展示されているようです。手前には「延命親子地蔵尊」が祀られていました。
「一度詣れよ 元善光寺 善光寺だけでは 片詣り」の言葉が引っかかってまして(^^;)
漸く両詣りすることができました<(_ _)>
場所:元善光寺


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