今回は久しぶりに岐阜の霊場に伺いました(。・∀・)ノ
揖斐郡揖斐川町にあります『月桂院』(げっけいいん)です!自宅からは車で30分ほどの場所にあります。
まずは坂の途中にある入口には「曹洞宗 清光山 月桂院」と刻まれた寺号標がありました。
山号は清光山、院号が月桂院、寺号はありませんでした。正式名称は「清光山月桂院」となります。曹洞宗の寺院です。
参道はコンクリートとなっていますが、周囲を草花豊かな庭園としており、仏像が上手に配置されています。
参道右手の広場(駐車場)側には「水子観世音菩薩」が祀られています。
参道左手に、西美濃三十三霊場の石碑がありました!月桂院は第四番霊場となっています!
ピンクに彩られた山門です。屋根は銅板葺きとなっています。山門手前には岩をくり抜いて手を握りあう子供の像が彫られていました(^^)/
山門をくぐり、左手には鐘楼堂がございました。梵鐘は岐阜県指定の重要文化財となっています。
立て札には
「一鉄が清水城に移ると、天正七年二月二十五日篠村八幡宮(大野町志耶)から尊像を勧請け城の鎮守として西北に八幡宮を創建した。
神社に鐘堂を建て、城中で陣鐘として用いていた梵鐘を釣って撞いた。
この鐘は領民が揖斐川より拾い上げ一鉄に献上したものである。」と記されています。
境内左手には庫裡(住居)がございました。境内の中も整備された綺麗な庭園となっています。
美しい形の本堂です。言い伝えによりますと、創建は天正九年(1581年)になります。
ご本尊は地蔵菩薩(聖観音)になります。
月桂院の縁起は
「 西美濃三十三霊場第四札場である、月桂院(げっけいいん)は、安藤守秋、氏家直元と共に西美濃三人衆の1人に数えられた稲葉一鉄の菩提寺。1581年、稲葉一鉄の妻が歿すると、翌年妻の旧宅を寺にして菩提を弔い妻の法名から月桂庵とした。1588年一鉄が歿すると同じく月桂庵に葬られた。その後、荒廃したが、1679年、彦根藩主井伊家が稲葉一鉄の恩義に感じて再興し、曹洞宗・月桂院とした。稲葉一鉄は土岐氏、斎藤氏、織田信長、羽柴秀吉に仕えた西美濃三人衆の一人で、筋を通す頑固な人柄から<頑固一徹>の語源となったといわれる。境内はよく整備され、羅漢像が旨く配置され、稲葉一鉄の息吹きを感じさせる。」
金文字で「清光山」と書かれた豪華な扁額が掲げられている本堂前です。
当日は誰も見えず諦めて帰りましたが、次の日再訪問し、本堂内でお参りをさせていただきました<(_ _)>
庫裡側から撮った本堂全景になります。後ろの山の緑が本堂を引き締めています。
西美濃の御朱印
場所:月桂院



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