2018
08/11
土
津観音から
歩く事、約15分で『四天王寺』(してんのうじ)に到着しました(^^)/

四天王寺と言えば大阪の四天王寺はわかるのですが、聖徳太子は全国に4つ四天王寺を建立したとされ、津にあるこの四天王寺はその一つとされているそうです。
入口に待ちかまえていたのは総門(山門)です。手前には右に山門名「塔世山」の石碑、左に「四天王寺」と書かれた寺号標がありました!
正式名称は「塔世山 四天王寺」となります。曹洞宗の寺院です。
僧門の扉上には山門の「塔世山」と書かれた扁額が掲げられていました。
柱には「西国薬師第三十四番霊場」の札が掛かっています。
総門入った右の塀際にはお堂が二つ、一つはお地蔵様が祀られています。
お堂があった塀の外側(境内の外側)には文化財の説明板がありました。
一番奥にある建物は、鐘楼が2階部分にある鐘楼門になります。閉じられていて現在は使われていないようです。
総門をくぐって、境内参道の中間にまた門がありました(^^;) これで3ヶ所目の門ですが、こちらは「中雀門」(ちゅうじゃくもん)と言うみたいです。。。初耳でした。[城内または武家屋敷の内部に設けた門]のことを言うらしいです。小さいですが楼門です。
太平洋戦争で3ヶ所ある総門、鐘楼門、中雀門以外はほとんど焼失したようです。
中雀門全景です。2階の屋根下に扁額がありますが、読めませんでした。。。
先程の鐘楼門を境内の中から撮っています(^^)/ 手前には宝篋印塔があります。
中雀門をくぐって、参道正面にあるのは本堂になります。両脇は緑豊かな庭園となっています。
境内の庭園になります。赤い前掛けがあるかわいい水子地蔵がたくさん祀られていました。
本堂全景です。銅板葺き?なのかな?入母屋でしょうか?正面からしか見ていなかったので、形状はちょっと変わっていますね~(^^;)
本尊は薬師如来になります。
四天王寺の由来は
「本寺は塔世山四天王寺と称し、曹洞宗の中本山です。推古天皇の勅願であり、聖徳太子の建立と伝えられています。
用明天皇の時、聖徳太子は守屋大連の軍に三度も敗れました。そこで太子は四天王尊像を刻み、「もし我が勝利を得れば、寺塔建立するから勝利を与えてほしい」との誓願をたてました。
その結果、守屋の軍をやぶることができたため、誓願どおり建立した四つの四天王寺を建立しました。その一つが、本寺であるとされています。
近年、境内から奈良時代の古瓦が出土され、建立されたのは7世紀頃という説もありますが、いずれにせよ1000年以上の歴史があり、平安時代ではこの地方で最も繁栄した寺院でした。
その後、度々の兵乱や戦火で焼失と再興を繰り返しましたが、元和5年(1619年)に津城に入国した藤堂高虎が改築、二代目藩主高次が寛永14年(1637年)に寺領を寄進したことにより、寺勢をとりもどしました。
現在の本堂は、太平洋戦争で焼失後、五十二世定行代に托鉢行にて再建されたものであり、市内有数の大きな寺院の一つとなっております。
また境内には、信長生母、藤堂高虎夫人をはじめとした武将や学者、文人たちの墓や芭蕉文塚ほか、文学碑など貴重な文化財が多く残されています。」
本堂前になります。お参りを済ませ、横の寺務所に御朱印のお願いに伺いましたら、待つ間、お庫裡さんに堂内へと案内していただき、お参りをさせていただきました<(_ _)> 更に冷たいお茶に御茶菓子までいただきましてありがとうございましたm(_ _)m
御朱印
場所:四天王寺
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